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2005年12月 5日 (月)

夜の物理学

手前味噌(?)で申し訳ないが、マル太さんによる「よるぶつ」の書談です。
マル太さんは、ペンネームに合わず、精神科医で生理学で博士号をもっている傑人です。

書談 道草マル太
竹内薫著『夜の物理学』
インデックス・コミュニケーションズ 2005年3月15日 (定価1500円+税)

 書名が注意をひく。「物理学」に「夜」がマッチしない。だから、
(おや?)
 と思う。
 例えば、「夜の婦人科学」ならわかる。「夜の泌尿器科学」もわかる。
(――けど、「夜の物理学」って、いったい何なんだ?)
 と思わず訝(いぶか)ってしまう。

「ナイトサイエンス」という言葉があるそうだ。直訳は「夜の科学」である。直感や霊感に基づくサイエンスを指す。
 サイエンスは一般に論理と実証とに基づく。仮説を立て、実験を行い、仮説の妥当性を論理的に判断し、その判断を基に、何らかの新しい知見を導く。
 これを「デイサイエンス(昼の科学)」と呼ぶならば、ナイトサイエンスは、その裏面にあたる。

 本書は物理学をナイトサイエンスの視点で切り取った。
 論理では割り切れない物理学の人間模様がユーモアたっぷりに描かれている。

 サイエンスに直感や霊感はなじまない。
「科学的に考えろ」などという。「直感や霊感に頼らず、実証に基づき論理的に考えろ」という意味である。

 が、論理や実証ばかりがサイエンスではない。それ以前の段階では科学も閃きに溢れている。閃きは、しばしば人の知性の裏面を映す。
 サイエンスの現場では自明のことである。
 が、一般には、あまり実感されていない。

 当然だろう。
 科学書の多くは科学者が書いている。彼らが自分の知性の裏面に触れたがらないのは自然なことである。そうしたものは大抵、ドロドロしているからだ。

 著者は科学者ではない。サイエンスライターである。
 それゆえに現代物理学をナイトサイエンスの視点で語られる。

 巷間、

 ――優れたサイエンスライターは多くない。

 と、いわれる。
 たしかに、そう思う。ナイトサイエンスまでキッチリと描ける人は多くない。

 著者はキッチリと描いている。
(約780字)

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