ノーと言わせてくれ(6)
武田はテキサス行きの飛行機に乗り窓際の座席についた。武田の座席は窓側から3席並んだ窓側の席だった。しかもエコノミークラスである。あれだけ空港でもてはやされた武田もこのときは日本の研究員待遇の悪さに痛感していた。(塚原部長など月に一度は客員が来たといっては料亭にいっているのに日ごろの口癖は国からの予算が少ないである。本当に日本の科学技術の研究予算はどうなっているのだろうか?)武田の心は複雑であった。
武田は自分の座席を見つけ座った。しばらくすると身長が190センチ程度ある巨大な大男が真ん中の席に座ってきた。その男の腕は丸太のように太くその腕は自分の座席内では収まらずに武田の席の方にまでかぶさってきた。武田はその体格のみならず顔には濃く長い口ひげを生やした厳つい大男にとても圧迫感を感じていた。
どうみてもプロレスラーかその系統の類にしか見えなかった。その大男の横には黒いスーツケースをもったいかにも商社マンと思える、痩せた風貌の小柄な男が通路側に座ってきた。小柄な男はその黒いカバンを両手でしっかりと抱えていた。武田は何か大事な商談にでも行くんだなと感じた。飛行機の出発時刻13時を過ぎたが武田の乗った飛行機はいっこうに出発する気配がなかった。
30分すぎたころアナウンスがあり「まだ何名かお客様が搭乗されていませんのでご迷惑をお掛けしますが今しばらくお待ち下さい。」との場内アナウンスがあった。武田はそのときスチュワーデスの声はかすかに震えているような気がした。「きっと新人のスチュワーデスの初フライトだな。」と思っていた。しかし出発時間が一時間過ぎてもいっこうに出発する気配がない。あきらかに武田の周りの乗客もいらいらの表情がみえた。その時、
機長からのアナウンスがあった。「当機はただ今ハイジャックに遭いました。どうか落ち着いて座席に座ったままで待機してください。」このアナウンスに乗客は一斉に騒ぎ出した。突然後ろの方の座席からライフルを持った男が「死にたくなかったら静かにしろ!」と持っている銃を乗客に向けて威嚇した。また前方の方からさらに二人の男がライフルを手に持って現れた。「我々は同朋の解放と自由のために戦っている。おとなしくしていれば危害は加えない。」そう言いながら乗客にライフルを向けて威嚇した。武田がその集団が何かのテロリストであることに気がつくのにはそれ程時間がかからなかった。窓の外にはたくさんのパトカーが取り囲んでおりパトカーの赤いライトが窓越しに差し込んでいることが乗客の緊張感を一層高めていた。その後、武田たちが監禁されてからすでに六時間が経過していた。犯人グループは何かを要求している様子であった。武田の座席の通路側にいたビジネスマンは先ほどからそわそわと落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしていた。しかしとうとう我慢が出来なかったのか通路を歩いているハイジャックの男に向かって言った。
「おまえたちの要求はなんだ!何が欲しいんだ。」
その男は持っていたライフルの銃口をその男に向けた。
「度胸があるやつだな、我々は同朋の解放と身代金の要求だ!」
「それで交渉は成立したのか。」
「ああ、日本政府は同朋の解放には関与できないが、身代金の50億円を払うといってきた。取引が成立したらお前たちは解放してやる。我々は無駄な血は流さないからな」
「50億円だと、早く俺を解放しろ俺はこれから100億円の取引に行くんだ、明日中に向こうに行かないとすべてだめになるんだ、俺だけでも解放しろ。」
ハイジャックの男は持っていたライフルの銃口でその男の頬を強く叩いた。
「黙っていろ、騒ぐと見せしめにお前から殺してやるぞ。」
そのビジネスマンの頬は見る見るうちに腫れ上がっていった。そして力を失ったようにうなだれた。それから2時間くらいして一台の車が飛行機に向かって来た。飛行機の100mくらい手前でその車は停止し、一人が大きなケースを二つ抱えて飛行機の中に入ってきた。しばらくするとハイジャックの一人が言った。
「我々の要求は一部受け入れられた、お前たちは解放する。」
乗客はいっせいに安堵の声を上げた。
飛行機の外をみると一台の階段車が近づいてきた。そして、飛行機の前後部扉が開いた。
「さあ順番に外に出ろ。」ハイジャックの声に従い乗客は順番に外に出て行った。みな解放された喜びと早くそこから逃げ出したい気持ちがあり小走りに通路を歩いていた。
武田は飛行機の中ほどにいたため最後になってやっと順番がやってきた。そして、痩せたビジネスマンが立ち上がろうとした時だった。
武田の隣の大男がそのビジネスマンの首根っこをつかみ椅子に引き倒した。
「お前はだめだ」ビジネスマンに向かって大男はいった。
「何をするんだ!俺は降りるんだ!」
「我々はまだこの飛行機で同士の待つ国に帰らなければならない。安全が確保出来るまで一人、人質がいる。」
この大男はハイジャックの仲間の一人であったのだった。
「なんで俺なんだ、選ぶんだったら他のやつにしろ。俺には大事な商談があるんだ。」
「だからお前がいいんだよ、お前100億の商談があるっていっていたな。お前を向こうに連れて行った後にまだ身代金が取れるからな。」
「ちょっとまて、俺じゃなくてもいいだろう。そうだお前の隣に座っている奴なんかどうだ。俺より身代金をとれるかもしれないぞ。」
突然その矛先は武田に向けられた。大男は武田に向かって言った。
「お前は何しにテキサスに行くんだ。」
「えーと、そのー、あのー・・・」
「あっ、知っているぞ。その人は木星に行く宇宙飛行士だ。さっき空港で記者会見をやっていたところをみたぞ。」
「何、宇宙飛行士?こいつがか、それに木星だと、はっはっは、こいつは傑作だ。」
「嘘じゃない、そうだおれの持っている新聞にも出ているぞ、ほらどうだ。」
ビジネスマンは大男に武田の顔写真の乗っている新聞を広げて見せた。その横には大きく木星の写真も写っていた。
「そら、嘘じゃないだろう。NASAが関係しているんだ。俺なんかよりずっと身代金とれるぞ。」
そう言うとビジネスマンは立ち上がった。このやり取りの間、他の乗客は全員飛行機を降りてしまい、残ったのはテロリスト達、武田とそのビジネスマンだけだった。
テロリスト達の銃口は一斉にそのサラリーマンにむけられた。しかしビジネスマンは構わず歩きだした。
「俺はとにかく降りるぞ、俺には100億円の商談が控えているんだ。知っているぞ、お前たちの国では勇者が尊重されることを、俺はビジネスマンの勇者だ。この商談が成立しないと家の会社は倒産だ。そうしたら一家ともども心中しなけりゃならないんだ。そうなったら身代金なんて一円も取れないぞ。今行かないとどうせ死ぬしかないんだ。撃つなら撃て!おれは残らないぞ。ここに残るなんて絶対ノーだ。」
一人の男がライフルをビジネスマンに向けて引き金に指をかけた。飛行機内は緊張のムードが漂った。その時である武田の隣にいた男は仲間がビジネスマンに向けている銃口に手を被せた。
「勇者を打つわけにはいかない。人質はその宇宙飛行士にしよう。」
「いや・・・僕もおります・・・」
しかし武田の小さな声はだれの耳にも届かなかった。武田を乗せた飛行機はパキスタン空港に向けて飛び立っていった。武田はいつものように少し背中をまるめ遠くを見つめ黙っていた。
「おい!お前の名前は何ていうんだい。」
「武田です。武田勝利です。」
「そうか武田か?よし武田、機内から何か食うものを探してこい。」
武田は飛行機に搭載されている機内食であることを察し、機内食をさがしにいった。そして皆に機内食を配った。
「そうだ、お前さん宇宙に行くんだってな。たしか木星とか言っていたな。宇宙ってどんなところか俺たちに話して聞かせろ。」
宇宙のことを話せといったってこんな状況ではまともな話が浮かぶわけがない。武田は先日まで研究していたブラックホールの話をすることにした。
「宇宙にはブラックホールというものがあって、何でも吸い込んでいく奇妙な空間があります。それは惑星がつぶれて出来たという説もあり、世界中の科学者がこのブラックホールについて研究しています。このブラックホールの周りには事象の地平線といわれる境界があって、一旦その内側に入ってしまうとあらゆる物体、電磁波、光といえども絶対にその外には出て来れません。もしブラックホールが解明できれば我々の宇宙はなんであるかが分かる可能性が・・・」
武田はブラックホールの話をはじめた、するとさっきまでパンをかじってあっちを向いていたメンバーもいつの間にか武田の前で話を聞きだした。何故そんな話が彼らの興味を引いたのかは定かではないが、話が進んでいくうちに質問するものまでが現れた。
「ところでそのブラックホールって奴はなんでも吸い込んじゃうんだろう、光も吸い込むっていうならどうやってそれを見ることが出来るんだい。」
メンバーの一人の質問に武田は驚かされた、今まで武田はこの話を多くの知人やセミナーで話したがその反応はたいがい「ふーん」とか「へー」とかあまり関心がないような反応ばかりであったからである。武田は自分が誘拐されているのも忘れ夢中になって話している自分に気がつき驚いたが話はとまらなかった。
「素晴らしい質問ですね。そうです、実を言うと見えないからその存在が分かるのです。」
「見えないから分かるだって、そりゃ宇宙人か幽霊みたいなもんだな。」
一人のメンバーの発言に他のメンバーが一斉に笑い出した。
「そうですね、宇宙にある物質は必ず電磁波である光を発しています。しかしある空間の一点だけから光が飛んでこないということはそこに光も吸い込む何かがあるということになります。」
武田の話にメンバーのすべては夢中で聞き入っていた。
「実は正確にいうとブラックホールの周りからは電磁波は放たれていることがわかっています。事象の地平線の外側ではこの電磁波を放出していて、その内側ではすべてのエネルギーが吸収されてしまいます。しかしエネルギーを放出しているためブラックホールはいつか消滅してしまうといわれています。」
話をしているうちにふと我に返った武田は皆があまりに真剣に聞いている姿をみて自分はほんとうに誘拐されているのかと思うほどであった。
飛行機はいつの間にか彼らの目的であるパキスタン空港に到着した。先ほどの大男がさっきとはまったく違った態度で武田に目隠しをした。
「悪いなっ。我々の安全確保のために、あんたを我々のアジトまで連れて行くことになる。悪いけれどその間目隠しをさせてもらうよ。」
それからの彼らの態度は紳士的なものであった。飛行機を降りてから車を何度か乗換えて6時間程で彼らのアジトに到着した。
そこで武田は目隠しを外された。武田はそこで意外な光景を目にした。そこには女、子供も含め100人ほどの人が集まっていて、とてもこのテロリストの家族とは思えないほど和んだ雰囲気があったからである。
「いいか今日は客人を連れてきた。捕虜だが丁重にあつかってくれ。何ていったってこの客人は我々の先生だからな。」
武田はその言葉を聴いて何を言っているのか良く理解出来なかった。
「いいか、よく聞いてくれ、あんたは我々の捕虜となった。しかしあんたが我々にさっき話した宇宙の話とか何かを皆に教えてくれたらここにいる間は客人として扱ってやる。」
「僕はどうなるんですか?あなたがたの要求は一体なにですか?」
「今はお前さんに話すわけには行かないが、ここでどういう扱いを受けるかはお前さん次第だ。いいな。」
「いいとか、悪いとかそんな問題じゃ・・・」武田はいつものようにうつろな目で遠くを見つめていた。
「どっちなんだ!はっきりしろよ。いいんだな。よし決まった早速明日から講義を始めてくれ。」
翌朝になって武田は20人くらいの人に先日話したブラックホールの話をした。
次の日には40人くらいの人が集まっていた。武田は簡単な話から初めてビッグバーンやその他の宇宙論の話をしていた。1週間もすると200人前後の人が武田の話を聞きにくるようになった。武田は監視役の一人が常時見張っていたもののその他は非常に丁寧な扱いを受けていた。しかし一向に解放してもらえる兆しはなかった。それから1ヶ月くらいたったある日武田はあの大男に聞いてみた。
「一体私はどうなるんですか。身代金かなにか払ったら解放してくれるのですか。」
「それに関しては今お前さんの国と交渉中だ、まだ時間がかかりそうだけどな。それより今後皆に、数学とか物理とか教えてやってくれないか?ここにいる皆は学校なんかいけないからいろんな知識を教えてやりたいんだよ。」
大男はそれっきり何も答えてはくれなかった。武田は翌日から数学や物理といった一般学問の話をしてきかせた。毎日参加してくる誰もが真剣に武田の話を聞いている。武田は以前大学院のときに教授にたのまれて授業を幾つか受け持ったことがあるが、誰もこんなに真剣には聞いてくれた人はいなかった。あのときのむなしさを思うと講義というものが始めて楽しいとさえ思えた。捕らわれの身である武田だったか、時々何だか充実した感じを受けることさえあった。武田のここでの生活が三ヶ月程度たったある日のことであった。あの大男が話しがあると言って武田を呼び出した。
「今日は、お前さんにとってはいい話がある。お前さんとの身代金の交換条件が成立したんで明日解放することになった。実はここの誰もがお前さんになついてしまって、出来ればずっとここにいて欲しいんだが、お前さんは世の中に必要な人間だということが分かったので解放することにした。今からはおまえさんを勇者として扱うことになった。」
武田は翌日この小さな村から解放されることになった。
「すまんな、目隠しだけはさせてもらうよ。」今日はあの大男もやけにしんみりした様子だった。武田が目隠しをされ車を出発するとき大勢の人たちが一斉に叫んでいた。
「武田は勇者、宇宙の勇者!!」
武田の心は非常に複雑な気持ちになっていた。
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コメント
一部、誤字脱字を訂正しました。
投稿: 竹内薫 | 2005年9月27日 (火) 08時00分