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2005年9月12日 (月)

蟲供養(4)

***
  
 結局、明け方までまんじりともできなかった塔子は、夜が明けてからほんの少し眠っただけでアルバイトに向かった。今日は夜七時まで働かなくてはならない。
 昼の休憩時間、喫茶店に入った塔子は、コーヒーとホットドッグを頼んだ。昨日のことが思い出されて、ご飯を食べる気がしないのだ。
 コーヒーを飲んで、やっとほっとできた。ようやく温かいものを口にできたという感じだ。朝食を食べ損ねたので、食事そのものが久しぶりである。
 ホットドッグを手に取って齧ろうと歯を立てた瞬間、上顎を何かが擦った。不審に思ってホットドッグを口から離す。塔子の目の前で、ソーセージは蠢いた。
「きゃあ!」
 塔子はホットドッグを放り出した。パンの間から転がり出たソーセージは、身を捩りながら皿の上を這ってゆく。周りにいた人々は、突然叫び声を上げた塔子を不審そうに眺めている。だが、動いているソーセージを見て驚きの声をあげる者は一人もいない。
「どうされました?」
 喫茶店の店員が近づいて、塔子に声をかけた。
「こ、これ……」
 塔子は震える指で、ソーセージを指差した。
「何か不都合がございましたか?」
 店員は、皿の上で身もだえているソーセージを前にして、平然と応えた。ソーセージは片側が三角形の頭、その反対は先細りの尻尾を持った蛭となって、伸び縮みしながらテーブルの端を這いずっている。
「あの、もし何かあったんでしたら作り直しますが」
「い、いえ、結構です」
 塔子は立ち上がって財布を掴むと、そそくさと店を立ち去った。

 アルバイトを終えて帰宅した塔子は、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。結局昼も、何も口にできなかった。空腹だ。
 しかし、食べ物を口にするのが怖い。昼間の一件で、どうやら自分にだけ食べ物が虫に見えるらしい、ということがわかった。蛭となったソーセージがあれだけはっきりと動いているのに、誰一人としてそれを目に留めなかったのだ。むしろ、騒ぎだした塔子のほうが異様な目で見られていた。
 何がどうなってしまったのだろう。気が狂ってしまったのか。
 塔子は言いようのない孤独を感じ、携帯電話を手に取った。貴志に電話をして、この不安を打ち明けたい。
 コール音が十回鳴って、留守番電話に切り替わった。機械的なアナウンスが、冷たく耳に響く。貴志は、今日はまだ仕事中なのかもしれない。留守番電話には何も吹き込まずに、塔子は電話を切った。着信があったと知れば、かけ直してくれるだろう。
 だが、貴志からの電話は来なかった。こちらからも何度も電話してみたが、留守番電話に切り替わってしまう。深夜を回っても連絡はとれず、塔子は不安な気持ちのままベッドに潜り込んだ。
  
 背中がむずむずする。塔子は何度も寝返りを打った。体勢をかえるとしばらくは平気だが、うとうとしだすとまた身体がむず痒くなってくる。
 仰向けになって両手足をバタバタさせて、もう一度布団を被り直した。蕁麻疹(じんましん)でも出ているのかもしれない。頭まで痒くなってきて、塔子は髪の毛の中に指を突っ込んで掻きむしった。
 するり、と、何かが指の間を抜けた。塔子は、はたと手の動きを止める。何かが髪の毛の中を動いて、耳の裏側をすり抜けて顎の下を回った。
 ざわりと寒気が襲う。塔子は慌てて起き上がると、首の周りを手ではたきながら電気をつけた。シーツの上に、ぱたりと長いものが落ちた。赤黒く細長い胴体にたくさんの針のような足を持ったそれは、左右に身体をくねらせながらベッドの下に逃げ込んでいく。蜈蚣(むかで)だ。
 お尻の下から、もぞもぞと何かが蠢く気配が伝わってくる。慌ててベッドから飛び降り、布団を剥いだ。何もいない。
 しかし、シーツは微かに動いている。細かな凹凸が、繰り返しシーツの上に現れては消えている。
 塔子は思い切ってシーツを剥いだ。マットの上一面に、赤黒い蜈蚣が絡み合って蠢いているのが目に飛び込んできた。数十匹がマットの端からこぼれ、床に落ちる。
 悲鳴すらあげられず、塔子はそのままベランダに飛び出して窓をしっかりと閉めた。震えが止まらない。恐る恐る部屋の中を覗くと、シーツを半分剥がれたベッドは、何事もなかったように煌煌とした明かりに照らされていた。
 その晩塔子は、ベランダで膝を抱えて過ごした。

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