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独立性

この商売をやっていると、「独立性」の大切さを痛感する。

ここのところ、何回か、「竹内さんの書評は効く」と言われた。書評で採り上げた本の売り上げが伸びる、というのである。ちょっと驚いたが、いつのまにか、本屋さんではそういう評判になっているらしく、毎日、何冊も出版社から献本が送られてくるようになった。

これは意外に困る。

まず、郵便受けが毎日いっぱいになってしまい、スーパーの買い物から帰ってきて郵便受けがパンク寸前だと、殺気すら覚える。

また、送られてきた本だけを書評で採り上げる「誘惑」に襲われ、中立性、公平性を保つのが難しくなってしまう。

本来、本屋さんをぶらついて、自分で買って、面白いと思った本を採り上げるのが筋なのだ。しかし、新刊本という限定もあるので、「あー、この本、半年前に出てて、気づかなかったけれど、凄く面白いや」という本の感動は共有することができない。

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原発事故ではサイエンス作家としての「独立性」も問われた。

こちらも、「金で動いている」と思われたら、その瞬間に廃業しなくてはいけないので、日頃から、収入の3%という上限を設けてきた。ようするに自主規制である。

利益団体・業界からの原稿料・講演料・出演料は、収入の3%までになるよう努力しているのだ。それは、私が清廉潔白な人間というよりは、職業作家として生きるために必要なことなのだ。疑われたら終わりなんだから。

でも、今回の原発事故では、そんな私の自主規制は吹っ飛んでしまった。「3%ももらっているんですか。買収されてるんですね」という人があらわれたからだ。

よくよく考えれば、3%という数字が、不可能に近いことがわかるはずだ。仮に年収500万円の人の場合、ある利益団体・業界からもらうお金を15万円以内に抑えないといけないのだ。

逆にいえば、収入の97%は、ほかからもらっているのだから、特定の利益団体・業界に魂を売るはずもない。論理的にありえない。

だが、反原発のイデオロギーをもつ人々は、どうやら、そういうふうには考えないらしい。

「あの人は、原発の広告に出てたから悪人。完全に悪魔に魂を売ったんだ」

と、赤狩り・魔女狩り真っ青の発言をくりかえす。

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しつこいうようだが、書評も原発発言も、「独立性」が保てなかったら、私は商売として終わりなのだ。職業倫理とは、そういうものなのだ。

私は面白いと思った本を面白いといい、必要なエネルギー源だと信ずるから原発容認なのであり、それ以上でもそれ以下でもない。金の問題じゃない。

正直いって、「3%も」といわれたとき、これまでの自分の努力が馬鹿馬鹿しくなってしまった。同時に、イデオロギーに支配される恐ろしさを実感した。これだったら、金に支配されてる奴のほうが、ある意味、まともかもしれないよ。

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ただ、これまで私は、再生可能エネルギーが基幹エネルギーになるとは思ってもみなかった。今後は、30年かけて、再生可能エネルギーを「補助」から「基幹」に昇格させるための技術開発が必要になるのだろう。

実際に原発事故が起きたのだから、そこは柔軟に頭を切り換えて、再生可能エネルギーの可能性を勉強してみたい。

サイエンス作家にイデオロギー的な前提は存在しない。金で買われることもない。あるのは、ただ、科学技術への希望と信頼だけなのだ。

そこんとこ、ヨロシク。

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