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なんにでもなれる時代の不思議

ボクたちが若かった頃は、何になるのも、やたら難しかった。

ボクは大学で法学部進学課程にいたけれど、50人くらいのクラスから、司法試験に合格したのはたったの一人。今とちがって、司法試験の合格率は天文学的(?)に低かったのだ。

だから今、大企業の法務で働いている中年の幹部で、弁護士資格をもっている人はほとんどいない。新入社員として入ってくる若手は弁護士資格をもっている人がいるけれど、資格のない上司のほうが、資格をもっている部下より法律に詳しかったりして、奇妙な逆転現象が起きている。

大学院も同じだ。昨今は大学の大学院重点化が叫ばれた結果、希望すればかなりの確率で大学院に進むことができるようになった。その代わり、博士号を取っても就職先がみつからない人が増えて、社会問題化している。

ボクは不思議でならない。

みんなを蹴落とすシステムが改革され、もっと多くの人が資格を取得できるようになり、幸福度が増すかと思ったら、そんなことはなく、狭き門で苦杯をなめた先輩たちからは呪詛の声が聞こえ、広き門で希望通りの資格をもらった後輩からは、怨嗟のつぶやきが聞こえてくる。

システムを改革しても、みんなが不幸であることに変わりはない。

もう一つ例をあげるなら、文学新人賞がある。新人賞の数はどんどん増え続け、今や、作家と名のつく職業で賞を取っていない人は皆無といっていいほどだ。でも、新人賞を取った作家のほとんどは、十年後には作家で食ってなどいない。受賞作家なのに、自分の食い扶持を文筆で稼ぐことができないのである。

こうなってくると、ほとんどの人が資格をもらえなかった昔がなつかしくなってくる。あの時代、どうせもらえないのだからと、誰も資格や賞に期待していなかったから、淡々と仕事をこなして、それなりに楽しく生きていたように思う。

人間の考える「改革」は、必ずしも人間を幸福にするとは限らない。実に不思議な現象である。

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薫日記を読んでいたら、「なんにでもなれる時代の不思議」http://kaoru.txt-nifty.com/diary/2010/12/post-3bf4.html という記事がありました。この内容に反論するつもりはないのですが、少し考えてみました。... [続きを読む]

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