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2010年12月の4件の投稿

なにげに忙しい

いよいよ先週から忘年会シーズンに突入。

今日は、連載原稿を二本送ったが、これから高校の同級生との忘年会に出陣。早めに切り上げて、帰ってからもう一本原稿を書かねばならぬ。あまりの呑めませんなぁ、こりゃ。

K妻は、悠くんのクリスマスプレゼントにiPhone4を買い横浜のヨドバシへ。うぉおお! なんと予約殺到で、年内に物が届くかどうかわからないんだって(汗)そんなにクリスマスプレゼントになってるのか、iPhone4。

ちなみに、ボクはまだ3GSだったりする。

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行きの電車の中で、明日のコマ大の「発展」の準備をしなくては!

あ、車のガソリンも入れなくちゃ! さすがに今日は無理なので、明日の午前中かな。あたりまえの日常茶飯事が、なぜか忙しい師走。

では、忘年会に行ってきまーす。

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直前告知

明日のJ-WAVE JAM THE WORLD、15ミニッツのゲストは、お姉キャラの「尾木ママ」として人気急上昇中! 教育評論家の尾木直樹さんをお迎えします。楽しいお話になると思います。お聞き逃しなく!

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放送作家との確執

年末が近くなり、忘年会も増えるが、仕事や人間関係で嫌なことも続く。

仕事場にケツの穴のちっちゃい奴がいると、いつも苦労させられる。どうでもいいことを大袈裟に取り上げて、大騒ぎして、どんどんトラブルが拡大してしまう。

よく放送作家と喧嘩になるのは、自分が作家稼業だから、しかたないことなのかもしれない。問題は、こちらがおとなしくしていても、ことあるごとに「挑発」されることだ。

年末で〆切をたくさんかかえている身としては、「あんた、暇なのか」と怒鳴りたくなる。

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テレビの科学番組は、相変わらず、ステレオタイプの制作態度ばかりで、うんざりさせられる。特に科学史に対する理解が浅いのは腹が立つ。学校でも、まともに科学史を勉強した人なんて、ほとんどいないから、テレビ番組の制作現場に「科学史の常識」を求めるのは酷だろうが、知らないんだったら、ちゃんと尋ねてくれよ。

ガリレオの宗教裁判は、「地動説を唱えたから弾圧されました」みたいな単純な話じゃない。背景には、ガリレオの庇護者であったトスカーナ大公とローマ法王の政治的・軍事的な確執があったし、よき友人であったベラルミーノ枢機卿亡き後、ローマ法王庁内部におけるガリレオの立場が弱まってしまったことも大きく関係する。だいたい、ガリレオ自身が敬虔なカトリック教徒だったわけで、「科学対宗教」みたいな○×式のわかりやすい構図で全てを説明するのは無理なのだ。

「地動説はいけませんと、教会の偉い人に怒られてしまいました」

この台本を見せられて、修正に一日しかないと言われて、いったいどうすればいいのだ。

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あまりの、科学史の常識のなさに、腹が立って仕方ない。

お次は、「中世は暗黒時代だったので、科学は進歩しませんでした」みたいな台本が来るのだろうか。あー、いやだ。

どこかに、ちゃんと科学と科学史の(最低レベルの)知識をもった放送作家はいないのか!

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なんにでもなれる時代の不思議

ボクたちが若かった頃は、何になるのも、やたら難しかった。

ボクは大学で法学部進学課程にいたけれど、50人くらいのクラスから、司法試験に合格したのはたったの一人。今とちがって、司法試験の合格率は天文学的(?)に低かったのだ。

だから今、大企業の法務で働いている中年の幹部で、弁護士資格をもっている人はほとんどいない。新入社員として入ってくる若手は弁護士資格をもっている人がいるけれど、資格のない上司のほうが、資格をもっている部下より法律に詳しかったりして、奇妙な逆転現象が起きている。

大学院も同じだ。昨今は大学の大学院重点化が叫ばれた結果、希望すればかなりの確率で大学院に進むことができるようになった。その代わり、博士号を取っても就職先がみつからない人が増えて、社会問題化している。

ボクは不思議でならない。

みんなを蹴落とすシステムが改革され、もっと多くの人が資格を取得できるようになり、幸福度が増すかと思ったら、そんなことはなく、狭き門で苦杯をなめた先輩たちからは呪詛の声が聞こえ、広き門で希望通りの資格をもらった後輩からは、怨嗟のつぶやきが聞こえてくる。

システムを改革しても、みんなが不幸であることに変わりはない。

もう一つ例をあげるなら、文学新人賞がある。新人賞の数はどんどん増え続け、今や、作家と名のつく職業で賞を取っていない人は皆無といっていいほどだ。でも、新人賞を取った作家のほとんどは、十年後には作家で食ってなどいない。受賞作家なのに、自分の食い扶持を文筆で稼ぐことができないのである。

こうなってくると、ほとんどの人が資格をもらえなかった昔がなつかしくなってくる。あの時代、どうせもらえないのだからと、誰も資格や賞に期待していなかったから、淡々と仕事をこなして、それなりに楽しく生きていたように思う。

人間の考える「改革」は、必ずしも人間を幸福にするとは限らない。実に不思議な現象である。

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