飯塚事件に思う
昼間やっていた「ザ・スクープSP ”第二の足利事件”は国家権力による殺人か!?」(テレビ朝日系)を見た。飯塚事件のDNA鑑定がずさんであったことから、冤罪の可能性を強く示唆していた。
去年の10月、ちょうど足利事件の問題が大きく報じられた時期に、なぜ森法務大臣が短兵急に(同じDNA鑑定が決め手となり冤罪の可能性が出てきた)飯塚事件について死刑執行を命じたのか、番組では疑問を呈していた。
まった同感だ。
実は、ボクも今月号の「VOICE」に足利事件と飯塚事件について時評を書いたのだが、法曹界の科学リテラシーの欠如は目に余るものがある。
足利事件でも、検察官や裁判官たちが何人も「科学技術の限界と進歩」について基本がわかっていないことを露呈したが、法務省と森法務大臣の昨年10月の行動は、科学リテラシーの欠如どころか、論理的にも理解しがたい。
よく「お役所仕事」という表現が使われるが、何も考えずにハンコを押すだけの仕事なら、そもそも大臣などいらない。冤罪の可能性があり、そのまま死刑を執行したら「殺人」になる恐れがあるのだから、再審請求の結果を見守り、DNA再鑑定の結果を待てばよかっただけの話である。
民主党が政権をとるかどうか、まだわからないが、もしそうなったら、是非、飯塚事件について隅々まで精査した上で、万が一、国家が殺人を犯したことが判明したならば、法務省幹部と森法務大臣の責任を追及してもらいたいものだ。
裁判員制度の騒ぎで、こういった本当に大事な問題があまり報道されない中、「ザ・スクープSP」の今回の特集は大きな意味をもっているように感じた。
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科学警察研究所の体質(そして人材?)も問題だが、DNA鑑定がらみで冤罪の可能性が浮上した途端に、法務大臣が焦って死刑執行に署名するという不可解な行為は大問題だ。
選挙後の次期法務大臣は、法務省の改革が初仕事となる。いったい、どこまで旧態依然とした役人体質にメスを入れられるだろうか。
冤罪で殺人を犯した可能性があるのに、延々と「個別の案件にはコメントしない」をくりかえすだけの大臣はもういらない。
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