「朗読」って向いてない
水曜の収録のとき、葉加瀬太郎さんにロンドンに住む理由を訊ねたら、日本だと打ち合わせその他で、ヴァイオリンの練習がまともにできなくなるのだそうだ。
ラジオの収録も、二日で七本録りだというから、すさまじい。まさに体力と集中力の勝負だ。(「たけしのコマ大数学科」も一日で三本録りだから、よく状況がわかる。)
***
それにしても、自分のラジオ番組よりも、ゲストで出かけていったほうが「しゃべり」がいいと言われるのも困りものだ。ようするに、フリートークは自由自在だが、「朗読」が苦手ということなんだよな。
アナウンサーの人が台本を読んでくれて、オレは、好き勝手に(それでも充分に考えて)フリートークをするのが一番いいのだと思う。
最近、JAM THE WORLDでも、朗読の部分は、かなり自分の言葉に言い換えるようにしている。そうするとつっかえないでスムーズにいく。(まともに朗読しようとすると悲惨なことになる(汗))
***
週刊新潮の連載は、竹内節が全快で、エロネタもなんでもござれだが、やはり、週刊誌という媒体でないと、こういう弾け方はできない。新聞やネットの連載で、これまで「封印」してきたものをさらけ出している感がある。(R25の連載も相当きわどいことがあるが・・・)
新聞やオピニオン誌の連載は、「朗読」している感じで、週刊新潮の連載は「フリートーク」になっているのかもしれない。こんなに楽しい連載は生まれて初めてだ。
***
なんでも、自由自在に自分色を出さないとダメなんだねぇ。最近、少しだけわかってきた気がする。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント