1950年代の技術水準
北朝鮮のミサイル発射で、ニュースを見ていたら、イギリスのBBCがライブで詳細に分析していて驚かされた。
日本と韓国の特派員によるリポートに続き、アメリカの科学者につないで、ミサイルと人工衛星打ち上げ用ロケットの差について訊ねていた。
「北朝鮮のロケット技術はアメリカとソ連の1950年代の水準です。今でこそ大陸弾道ミサイルと人工衛星打ち上げ用ロケットは別物ですが、50年代には区別などなかったのです」
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もともと(ロケット本体ではない)「落下物」の迎撃は「ほとんど不可能」だというから、今回の日本の迎撃態勢は、あくまでもミサイルを「追尾」して迎撃のシミュレーションを行なう「演習」が目的だったにちがいない。
それにしては、移動中のPAC3が、はぐれて立ち往生したり、誤探知というのはいただけない。
将来、核弾頭を搭載したミサイルが飛んできた時、本当に迎撃できるのだろうか。
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北朝鮮は核ミサイルなど発射しない、という楽観的な観測もあるだろうが、そんな「常識」が通じるようであれば、そもそも拉致問題だってとっくの昔に解決しているはずだ。
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冷静に現状を分析してみれば、北朝鮮は核技術もミサイル技術も1950年代の米ソの水準に近づきつつあることがわかる。
日本の科学技術はそれより半世紀も進んでいる。しかし、ミサイル発射をリアルタイムで探知する装備を日本は持っていない。すべてアメリカ頼みなのだ。(日本の「偵察」衛星は、静止衛星ではないので、たまたま北朝鮮が発射したときに上空にいなければ探知できない!)
あらゆる手段を講じて、日本は、「第三の被爆」だけは防がなければならない。無論、外交上の努力は不可欠だが、数年以内に、核ミサイルが東京に向けて発射される状況となったとき、不確実な「迎撃」システムに数百万人の命をゆだねていいのだろうか。
ミサイル防衛について少しでも勉強すれば、一基の核ミサイルを無力化する唯一の確実な方法は、それが飛ぶ前に破壊することであることがわかる。だが、日本の現行の法律解釈は、そのような先制攻撃を許していない(ように思われる)。
SM3とPAC3の迎撃性能(確率)について、もっと突っ込んだ分析をした上で、核ミサイルによって失われる人命の大きさを勘案し、発射準備に入った隣国の核ミサイルを破壊する行為が「正当防衛」であるのか「過剰防衛」であるのか、今後、国民的な議論が必要だろう。
数年以内に、日本の運命は、政府の決断と行動にゆだねられることになるかもしれない。
はたして、時の「リーダー」は、第三の被爆を防ぐことができるだろうか・・・。
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