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殺すまではね

中学生のとき、理科の実習で杉並区の科学教室に行って、クラス全員でマウスを解剖した。

そのとき、一部の悪ガキどもが、最初は怖がったり気味悪がったりしていたのに、途中から収拾がつかなくなって、マウスの腸をぶらさげたり振り回したりして遊び始めた。

私はその光景に「吐き気」を覚えた。

彼らは、あの解剖の授業で「命の尊さ」は学ばなかったし、おそらく、「生命の美しさ」や「不思議さ」も学ばなかったはずだ。

せっかく生まれてきたのに、単に遊ばれて「消費」されて無駄になってしまった生き物の命を見て、私はがく然とした。解剖実習そのものが、心の中で大きな悪夢として残った。

いったい、何が悪かったのか。先生の指導が悪かったのか、それとも、中学生に生命を扱う倫理を求めること自体に無理があったのか、今でも理解できない。

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昨年、仕事である研究室を訪問した際、中学のときの悪夢がよみがえってしまった。年間1億円の予算で生物学の研究をしている研究室だ。その研究室のボスは、以前から知っている人だったが、数年会わないうちに人格が豹変していた。

彼は、研究施設を案内しながら、自慢気にこんなことを言った。

「ウチの研究室は、動物の飼育環境については、世界でも屈指の好環境だと思う。殺すまではね」

その瞬間、私は例の得体の知れぬ「吐き気」を思い出した。

そう、何千という命がここにはある。そして、そのほとんどは実験で殺されて、流れ作業のように脳がスライスされ、染められ、顕微鏡で観察され、記録され続ける。

彼は、インタビューでしきりに「子供のころから動物が好きだった」と言っていた。もしかしたら子供のころは本当に動物が好きだったのかもしれない。でも、今の彼はちがう。淡々と動物の脳の一部を破壊して、論文をたくさん書いて、科学者としての地位を保全し、研究費を獲得しているだけなのだ。

いや、もしかしたら、彼は純粋に「知的好奇心」に突き動かされて動物実験を続けているのかもしれない。

いずれにしろ、彼はもはや、「生き物」をそのまま愛するという意味での「動物が好き」という人とはちがったジャンルの人間になったのだ。

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同じ「動物好き」でも、好対照をなすのが、旭山動物園の副園長の坂東元さんだ。「ゲンちゃん」の愛称で親しまれる坂東さんは、「ボルネオ緑の回廊」計画を推進している。動物に「生き物」として接する坂東さんのような人に出会うと、妙にホッとしてしまう。(もちろん、動物の命を救う仕事である獣医さんは、教育段階で、多くの動物の命の犠牲のうえに成り立っているわけだが・・・)

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NHKスペシャルで、植物状態になった人の脳に電気刺激を与えて、意識が戻った事例を紹介していたが、ああいう新しい治療法は動物実験を経てから人間に適用されるのだろう。意識が戻った瞬間の家族の喜びを見て、「もし動物実験が完全になくなったらどうなるのだろう」と考えさせられた。

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私の中で、動物実験についてどういう立場をとるべきか、正直いって、いまだにわからない。

一つだけたしかなのは、一部の人だけしか必要としないのに、動き始めたら止まらない公共工事と同様、一部の科学者だけしか必要としないのに、殺すのをやめることができない動物実験が多いことだ。

だが、どの動物実験が本当に人類の未来と幸福のために必要で、どの動物実験が「いらない公共工事」と同じレベルなのか、誰がどうやって判断すればいいのか。

「殺すまではね」

あの研究者の言葉が、悪夢のように、私の脳裏で反響しつづける・・・。

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