法務省のお役人が考えていること
オレみたいな人間は、別に報道の最前線で活躍しているわけじゃないけれど、それでもラジオでニュースにコメントしたりする機会は多い。
最近、「裁判員制度」に裏の意図があったのではないか、と思わず勘ぐりたくなるような「通達」が回ってきて驚いた。
裁判員制度は、表向きは国民の意識を高め、裁判の結果に民意を反映させる、ということになっているが、裏では「官」による情報統制の意味合いがあるのではないか。
というのは、テレビやラジオでコメントしたりニュースを読む際に、これまでと同じ言い方ではダメで、ある種の「規制」がかかることになったからである。裁判員制度が始まることと、テレビやラジオのニュースの「表現」は、あまり関係ないはずだが、法務省のお役人は、実にアタマがいい。これを機に、マスコミの統制に乗り出したような感がある。
2003年9月に、裁判員や候補者(つまり日本の成人のほとんどがあてはまる可能性がある)に偏見をあたえないように、という意図で、法的規制が検討された。もちろん、そんなことをしたら表現の自由が損なわれるから、最終的にはマスコミの自主規制という形で決着がついた。
あれ? アメリカの裁判モノのドラマなんかみていると、バンバン偏った報道が流れているけれど、あれで自主規制してるの? 素朴な疑問が生じる。
実際に、「これは言ってはいけません」、「識者や出演者のコメントに注意を」などという通達が回ってくると、さすがに、「裁判員制度には裏の意味があったのか?」と疑わざるをえない。
たとえば、ラジオの生放送で専門家に意見を聞いているとき、その専門家が偏った主張を展開するのは、よくあることで、それに対してナビゲーターが常に反対意見を述べることなど不可能だし、その場で反対意見をもっている専門家に連絡をとって、バランスをとってもらうことも不可能だ。(アポが間に合わない!)
オレは常に自分のコメントにはバランスをこころがけるようにしているが、他人様(ゲスト)の見解にまで手を加えるのは「表現の自由」に反するだろうし、多様な意見の表明を封じることに疑問を感じてしまう。
お役人の発想としかいいようがない。
回ってきた「規制通達」をみて、なんだか、コワイ世の中になったように感じたのはオレだけなのか?
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カルデロンのり子さんの件もあり、最近、法務省に対しては、ネガティブなイメージばかり抱くようになってしまった。正直いって怖い気がする。
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付記:アメリカでは、憲法修正1条で「連邦議会は、言論あるいは出版の自由を制限する法律を制定してはならない」とされているため、報道機関の規制ではなく、捜査機関や事件関係者に裁判所が「口止め命令」を出す方法が取られている。
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