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夜中に原稿書いてたら

今年はサイエンスライターを始めて20年目。

駆け出し時代のゴーストライターなども含めると、今年中に100冊目の本を上梓することになりそうだ。(海外版や文庫版、複数のペンネームがあるので、自分でも精確には数えられない!)

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サイエンスライターという仕事は、常に文系的な「わかりやすい表現」と理系的な「精確な記述」のせめぎ合いに悩まされる職業だ。常に両方から文句を浴びせかけられる。

実際、そういった「両方からの文句」を言われなかった本といえば、ジャンルを飛び出してしまった「ねこ耳少女の量子論」くらいのものじゃないだろうか。

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いまだに忘れられないのは、ある出版賞の最終選考において、二年連続で「難しすぎて訳がわからん」、「中身の正確性に欠ける」と審査委員から酷評された体験で、あのときの悔しさと心の傷は消えることがないように思う。

でも、昨年、18年飼っていた愛猫のカロアが死んで、「宇宙のかけら」を書いて、スーっと苦しみや恨みが消えてゆき、「専業のサイエンスライターでない審査員の言動など気にする必要がない」という心境になった。

カロアの死が教えてくれたものは、「ドロドロとした悪意に振り回されるな」ということであり、「読者のことだけを考えて、<野>で生き続けろ」ということだったように思う。

<野>は「フィールド」であり、「現場」であり、同時に「野生」という意味も含んでいる。

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最近、ウィキペディアに「科学ジャーナリスト(自称)」と書かれているのを見て苦笑してしまった。あまり人前で「私は科学ジャーナリストです」と言った覚えもないから、自称といわれてもピンと来ないが、審査員たちと同じ差別的な目でしかオレを見ない人間は世の中に少なくない。

「日立評論」や「諸君!」や「中央公論」や「J-WAVE JAM THE WORLD」などで大勢の科学者にインタビューしているし、「NEWS ZERO」や「ムーブ!」や「産経新聞」でも毎回、さまざまな科学技術の話題を取り上げてお茶の間や読者に発信し続けたつもりだが、(自称)という悪意のある編集を見ると、それを書いた人は、オレのジャーナリズム的な活動をすべて無視しているのかと驚きを隠せない。

それでも20年間、仕事を続けて来られたのは、オレの活字を読んでくれたり、声を聞いてくれたりしてオレを支えてくれる人々がいたからだ。

そういう人たちのために、これからも「野に生きる」ことを続けてゆくつもりだ。

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なんで、いまさら、こんなこと書いてるんだろうねぇ。

夜中に原稿を書いていて、なんだか急に「感慨深く」なっちまったようだ(笑)

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