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くわばら、くわばら

どうも「学校」関係にはかかわらないほうがいいらしい。

大学にせよ、小学校にせよ、ちょっと信じられないほど嫌な思いをすることが多い。いったい、なぜか? どうやら、ほとんどの先生が社会経験が皆無なことと関係しているらしい。

今年は教科書会社に振り回されて、非常に閉口した。

『99.9%は仮説』が高校から大学まで、何度も入試問題に使われたせいか、国語の教科書への執筆依頼が来たのである。学校関係のトラブルは以前にも経験しているので、あまり気が進まなかったが、とりあえず書いてみることにした。

ところが、原稿を何度書いても、現場の先生(アドバイザー)の「講評」がついて戻ってきて、しまいには修正の「見本」が送られてきた。

現場の先生は、自分の生徒だけでなく、私の文章にも赤を入れてしまうわけだ。その修正意見がまともであれば、私も文句は言わないが、どう考えても、元の文章を大勢でいじくり回した結果、論理が破綻したようにしか見えない。

継ぎはぎだらけとなり、肝心の主題がぼやけ、論理がメチャクチャになった文章は、もはや私の文章ではない。フランケンシュタインみたいな奇っ怪で気持ち悪い文章なのである。

K妻「こんなヘンテコな文章、竹内薫って名前を出して公開できないわよ。信用にかかわるから」
オレ「さすがに、小学生に読ませるわけにはいかないよな」

私が修正=改悪を拒絶すると、担当者から、延々と私の文章のどこがイケナイのかを綴ったメールがきて、6万円払ってやると言われたので、さすがに頭に来て、報酬なんかいらない、と断った。

私は別に一流の作家でもなんでもないが、少なくとも筆一本で飯を食っている。常に読者の厳しい視線にさらされて、市場経済のなかで踏ん張っているのだ。

アドバイザーだかなんだか知らないが、筆一本で勝負したことのない学校の先生に「添削」されるいわれはない。私の文章に文句をつけることができるのは、お金を出して本を買ってくれた読者だけだ。

今回は、教育の現場、それも教科書制作の現場で何が起きているのかを体験することになった。他の執筆者の文章も、同じようにいじり回されて、フランケンシュタイン化しているのだろうか。

現実に社会に流通している文章ではなく、社会経験も作家経験もない学校の先生が、好き放題に改悪してしまった文章が教材になるのだとしたら、そんな訳のわからないものを読まされる子供たちがかわいそうである。

子供には、社会で実際に流通している文章を読ませるべきだと思うが、教科書の制作現場は、完全に感覚が麻痺しているようだ。(続く)

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