最近、講演会などで「代表作」を紹介されるたびに違和感に襲われる。
自分で懇親の力作と思っていたり、うまく肩の力が抜けて書けた、と思っている本は、他人からみると、まったく代表作ではないらしい。
心理学では自分が抱いている自分のイメージと他人から見たイメージが食い違うことが問題になるが、それと似ているかもしれない。
下手な小説でも「虚数の眼」と「百人一首 一千年の冥宮」は、自分では、時間もかけたし、失敗も少なかったと思ったが、湯川薫が休業中ということもあり、講演会では紹介されることもない。
ネイチャーのNEWS AND VIEWSを翻訳した「知の創造」シリーズも徳間社長の逝去とともに終わった。日本の科学ジャーナリズムになにがしかの貢献をしたと思っていたが、現実には、箸にも棒にもかからなかったわけで、当時も今も落胆は大きい。
主力商品であるブルーバックスは、読者の評価も賛否両論で、過去に二回、「超ひも理論とはなにか」と「ホーキング虚時間の宇宙」が講談社の科学出版賞の最終候補にノミネートされたが、審査員からは低い評価を受け続け、そのことは、事実上の転職(=ラジオやテレビの仕事へのシフト)へとつながった。考えてみると、「科学の終焉」の翻訳も毎日出版文化賞の最終選考に残ったことがあるから、合計で三回、出版賞に落ちたわけで、それは科学出版界からの私の仕事の評価を如実に物語っている。
もう二十年近く、科学書を書き続けてきたのに、考えてみると、これといった代表作がない。
私は科学作家として大きな曲がり角に来ているのかもしれない。悩みが深い。
今年は、死んだカロアのために本を書いてやりたいと思う。宇宙の絵本だ。
もう一冊、宇宙論の本を書く予定だが、ありきたりの本にはしたくない。もちまえのユーモアを駆使して何か書きたいが、まだ、構想が完全にできていない。
暗中模索の日々が続く。