科学の敵
先週のリー・シルヴァー博士の取材は、当初、宗教と科学の話なので、あまり乗り気でなかったが、結果的に得るところが大きかった。
「神」という概念は科学者によって大きく違う。一般論として、生命科学者は、進化論や分子生物学との兼ね合いで「神」を強く否定する傾向が強く、宇宙論なんぞやっている人は、意外に「神」を許容する考えをもっているように感じる。
これは、おそらく、生命の起源と宇宙の起源のスケールが大きく乖離しているからなのだろう。
もちろん、ここでいう「神」は人格神のことではない。アインシュタインが「神」という言葉をつかうとき、あるいは、ニュートンが「神」について語るとき、それは「個々の人間に何かをしてくれる神」ではない。
となると、宇宙の根本原理みたいな話となって、わざわざ「神」という言葉を持ち出すまでもないじゃないか、となるが、そこは西洋と東洋ではニュアンスが大幅に違うらしい。
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それにしても、宗教右派と環境左派と三つ巴の戦いを繰り広げているアメリカの生命科学者は大変だ。
ふと思ったのだが、そういう「敵」がいることが、Scientific Americanの70万部という驚異的な国内売り上げやスミソニアン博物館の入場者数(二千万人?)を支えているのかもしれない。人口比を考慮しても、読者数や入場者数が、日本の日経サイエンスや国立科学博物館の10倍、つまり、一桁多いのである。
科学の敵仮説=アメリカは宗教右派と環境左派の勢力が強いので、逆に科学に対する関心が高い
この「科学の敵」仮説は、単に今回の訪米で、同行していた竹内さんが「日本では、どうして科学に対して無気力、無関心がはびこっているんでしょう?」という問いを発していたので、「アメリカは、敵が強いから科学の側に危機感があるからかなぁ」と漠然と思いついたもの。
テレビの風林火山を見ていて、やはり、強敵がいると自分も強くなるんだろうなぁ、という思いを強くした。
でも、この仮説、どうやって検証すればいいんだろう? 難しそうだ。
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