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あいまいな正義

愛知の立て篭もり事件で殉職された林一歩警部は、警察学校の同期でも成績がトップで、将来を嘱望された警官だった。

テレビの映像を見ていて、私が感じたのは、(多くの人々が感じたのと同じく)「なぜ、犯人を狙撃しないのか?」という素朴な疑問だった。

警官が玄関先に重傷のまま放置され続ける、という情況は、きわめて異常だ。むろん、犯人に脅されていたのだから、至近距離からさらに撃たれる恐れもあり、救出が難しかったのは理解できる。

だが、テロが横行し、銃が氾濫する現代社会において、それでも「狙撃」ができない理由が警察には存在する。

私もこの事件でようやく思い出したのだが、1970年の瀬戸内シージャック事件が全ての始まりだったのだ。

先週は私もJ-WAVEで番組をやっていて、番組中に犯人が投降して、臨時ニュースを入れたりしたが、スタッフの間でも「どうして狙撃しないの?」という話になり、調べてみたら、1970年の事件により警察は(事実上)狙撃できない状態であることがわかり、かなり驚かされた。

瀬戸内のシージャック事件では、胸を撃たれた犯人の映像がテレビで放送されて世論が形成され、その後、人権派の弁護士が狙撃手を「殺人」で訴えたため、警察は、最終手段としての「犯人狙撃」を封じられてしまった。(その後の狙撃については上のリンクをご覧いただきたい。)

70年代、私はまだ十代だったが、たしかに世論の趨勢は「人権」であり、それは、今から振り返れば、犯人のための行き過ぎた人権だったのかもしれない。

人を殺(あや)めても、あるいは、さらに犠牲者が増える可能性が高くても、犯人の命を守ることが「正義」なのか、それとも、重傷で倒れている警官を救うために、すぐ側で銃を構えている犯人を狙撃することが「正義」なのか。

世論が警察の手を封じ、四半世紀も「正義」の意味があいまいなまま放置された結果、林一歩警部は殉職した。

しかし、この私も、十代の頃は、あまり考えもせず、「警察は、犯人を殺さなくてもよかったのにね」などと言っていたにちがいないのだ。

林警部の殉職に対して、やりきれなさと同時に、一抹の罪の意識を感じているのは、はたして私だけだろうか。

林一歩警部のご冥福をお祈りしたい。

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