・・・と思う。
オレはバリバリの帰国子女で、大学院もカナダだったから、ニューヨークとモントリオールに足掛け10年住んでいたわけだが、それでも、オレの英語力では、チャンドラーの名文を味わい尽くせない。
こういうのは具体例をあげるのが一番だ。
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例1 第一章 第五段落
原文「At the Dancers they get the sort of people that disillusion you about what a lot of golfing money can do for the personality.」
清水訳「<ダンサーズ>では、金にものをいわせようとしても当てがはずれることがあるのだ。」
村上訳「<ダンサーズ>は、いくら金を積んだところで人品骨柄だけはなんともならないということを人に教え、幻滅を与えるために、この手の連中を雇い入れているのだ。」
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<ダンサーズ>というのは店の名前だ。その駐車場係が、客の幻想を解く、というのである。もちろん、チンピラの駐車場係が、泥酔客に愛想を尽かして、乱暴に扱うため、特権階級の連中が我に返るわけだ。
問題は、「golfing money」である。直訳すると「ゴルフ代金」であるが、そのままでは意味が通らない。
当時のゴルフといえば、ごく一部の上流階級の人間しかやっていなかった・・・と解釈してみよう。すると、成金連中が、上流階級の仲間入りをするために、いくらゴルフ三昧をしても、人品骨柄までは変えられない、という意味がわかってくる。
だが、これで解釈が確定するかといえば、オレは不安にかられる。チャンドラーの文章にはイディオムやスラングが頻出する。だから、「golfing money」が、そのまま「ゴルフ代金」でいいのか、それとも、別の意味があるのか、判断がつかないのである。英文学の専門家に「こりゃあ、スラングですよ」と言われてしまえば、誤読ということになるのだ。
清水訳では、こういった細かい解釈は、ぼかされているが、村上訳では、一歩立ち入って、精確な解釈を試みているように見える。
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例2 第十三章 第一段落
原文「A moment later I saw her flash down in a one and a half.」
清水訳「一瞬後、ワン・アンド・ハーフで空中をもんどり打って落下する彼女の姿がちらっと眼にうつった。」
村上訳「それから少しして、彼女はワン・アンド・ハーフで水面に身を躍らせた。」
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うーん、「ワン・アンド・ハーフ」って何だろう? ちょっと考え込んでしまったが、この場面は、ようするに若い女性がプールに飛び込んでいるシーンなので、「一回転半」かな、と思い至った。あとは、水着の種類(ファッション)などの可能性もあるが、そんなもん知らないし・・・。
でも、もし、オレの解釈どおりの「飛び込む際の回転」だとしても、前に回転したのか、横に捻ったのか・・・やはり、精確にはわからない!
ちなみに、「flash down」の訳し方も難しい。「一瞥」みたいな感じで、パッとプールに飛び込んだわけだが、わざわざ、この言葉を使っているところを見ると、多少、エッチなニュアンスも漂う気はする。(パンチラみたいな場面でflashは使われることがある・・・)
清水さんも村上さんも「ワン・アンド・ハーフ」とだけ訳しているのだが、もしかして、誰でも知っている用語なのだろうか? うーむ。
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てなわけで、チャンドラーの文章の名リズムは心地よいが、細かい解釈となると、急に心もとなくなってくる。
もしかしたら、それで何度も読み返すことになって、深い味わいがあるのかもしれない。ようするに奥深い文章なのだ。
いずれにせよ、訳者は大変だ。並大抵の作業ではない。
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ふ、それにしても、チャンドラーを読んでいると、いつも感じることだが、オレの英語力も知れたもんだな・・・(ため息)