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トラウマ

人間てェやつは、みんな幼少時の苦しい体験だとか、失恋のショックといったものを抱えて生きている。

オレの場合、二つの大きなトラウマがある。

トラウマその1。
小学校のころ、いきなりアメリカに連れていかれて、当時は日本人学校なんて気の利いたものも存在しなかったので、現地の学校に放り込まれて、エイビースイーもわからないのに、初日から宿題が出た。
必死になって黒板を写した憶えがある。
だが、家に帰って父親に解読してもらったところ、「Homework」というのが「宿題」であることはわかったが、哀しいかな、時間が足りず、課題の途中までしかノートに書いてなかった。
翌日、宿題が出されていることがわかっているのに、それを「忘れる」ことになるため、子供心にどんな罰を受けるのかと非常に心配した。

今では中途半端なバイリンガルとなってしまい、誰からも嫌われるのではないか、と日々怯えて暮らしている次第。この英語と日本語の板挟みのトラウマは、おそらく、一生消えないだろう。また、ほとんど誰にも理解してもらえないこともわかっている。
夜中に英語で譫言(うわごと)言ってることもあるらしいが、傍から見ると気持ち悪いだけだぜ。

トラウマその2。
前に毎日出版文化賞というので最終選考に残って、最後の二冊まで残って、受賞を逃したことがあった。
今年も別の賞の最終選考で受賞を逃した。
実は、この「一番になれずに二番手に甘んじる」というトラウマは、幼稚園にまでさかのぼる。

幼稚園のとき、オレは足が速くて、運動会の障害物競走でぶっちぎりで一位になるはずだった。だが、あと5メートルというときに、オレは、後続の園児たちのことが急に可哀想になって、わざと足を遅くして、最終的に二番でゴールインしたのだ。
これは、日頃、バスや電車の中では、席から立って、弱い人々に席を譲るようにと、カトリックの母親から強く指導されていたのが、妙な形で出たのだ。いや、ホントの話。深層心理というやつは恐ろしい。

で、それ以来、オレの人生には、「恐怖の二番」がついてまわることとなった。
大学院でも名前つきの大きな奨学金がもらえるはずだったのに、コントグーリスという意地悪な指導教官に皮肉たっぷりの「推薦状」を書かれて次点に廻ったことがある。奨学金の担当教授が気の毒がったが、オレが、「幼稚園以来の呪いです」と説明すると、きょとんとした顏つきになっていた。
大学院の博士課程の予備試験でも成績が二番だった。オレは一緒に勉強していたベルトランというフランス系カナダ人に試験問題をたくさん予想してやり、いくつか的中したのだが、オレはその問題の解答を誤り、ベルトランが一位になったのだった。一位になると、やはり大きな奨学金がもらえる上に奇妙な称号までもらえるのだが、二番だと何もない。

実際、社会において、一番と二番の差は大きい。
勝者が全てを取る(Winner takes all)という表現があるけれど、あれは紛う事無き真実である。
オレは、常に二番手の位置から、一番手の奴が全てをかっさらっていくのを目撃し続けてきた。

オレは、いまだに、こんなことを夢想する。
もしもタイムマシンがあって、幼稚園にまで戻ることができたなら、オレは、悠々と一番でゴールして、ゴール直前に後ろを振り向いて、
「てめえら、ざまあみろ。オレは一番だからすべての名声と地位を手にし、おまえら二番手以下の園児には、菓子も褒美も何もないのだ。ふわぁーっはっはっは」
とアッカンベーをする。

***

いや、きっと、アッカンベーをした瞬間に蹴躓(けつまず)いて転んでしまい、砂にまみれたオレの横を一番手の園児が悠々とゴールインするんだろうなぁ・・・。ふっ。

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