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コト的世界観事始め

オレが生まれて初めて「コトテキセカイカン」とやらに出会ったのは、大学二年の哲学の授業だった。
当時、法学部進学をやめて教養学科の科学史科学哲学に進んだオレは、それまでの実務的な授業とは打って変わって、人類思想の深い茂みへと足を踏み入れた感じがしていた。

哲学者の大森荘蔵は、退官直前だった。
そこで、一番思い入れのある哲学書を講読することにしたらしい。
それがウィトゲンシュタインの「青本」だ。
この本は、もともとウィトゲンシュタインの英語での授業が元になっていて、原書も英語だが、非常に癖のある文章で(ようするに訛っていたわけだ!)読解不可能に思われた。

最初のうちはチンプンカンプンだったが、あるとき、オレの頭の中で何かが弾けた。
それが「コトテキセカイカン」との最初の出会いだった。

それから哲学者廣松渉のカッシーラの「象徴形式の哲学」の講読を取って、相対性理論の哲学なども読み始めて、急激に頭がコト化していった憶えがある。あのころのオレは、「世界の眺め方」が変わったことに、自分でも驚いていた時期だった。

世の中には、「哲学なんぞ何の役にたつ」と考えている人も多いが、生きているうちに、人類のさまざまな思考パターンを追体験することには、それなりのメリットがある。

もっとも、オレが学校で読まされた哲学書に欠けていたものが一つだけあった。
それは、人間の(論理ではなく)感情の問題だ。
そういった哲学書もあったんだろうけど、なぜか、オレは、ひたすら「理性の極限」みたいな本ばかり読むはめになり、しばらくの間、文学的な世界からは遠ざかっていた。

おそらくサルトルなんかは、感情面を重視した哲学者だと思うけれど、それゆえにアカデミックな世界からは二流扱いされていた感じがする。

***

NHK出版の「物質をめぐる冒険」はゲラを見ている。
かなり思想的な側面が表に出ているように思う。
ゲラを見ていて、ふと、学生時代を想い出しちゃったんだ。

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