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野良猫

夜、独りで散歩していると猫に出会うことが多い。

猫は夜行性だからあたりまえなのだが、オレの姿を見て逃げると、心の中で、
(そうだ、それでいい、人間なんか信用するんじゃないぞ)
と嬉しくなる。
逆に、警戒心がなくて近寄ってきたりすると、次の機会に悪い人間に蹴飛ばされたり危害を加えられやしないかと心配になってしまう。

***

フリーのサイエンスライターというのは、現代日本においては、非常に厳しい職業環境にあり、よほど神経がタフじゃないとやってられない職種だ。
お金が儲かると勘違いしている人もいるけれど、まあ、大の大人を二人くらい養うのが精一杯だ。

この肩書き社会のなかで、所属機関もなければ、目をかけてくれる恩師もいないわけで、ある意味、野良猫と同じような生き方をしている気がする。

だから、サイエンスライターになりたい、という若い人がいると、オレは、新聞社や雑誌社に就職して、そこで記事を書くように勧める。
たとえば科学者だって、ナントカ新聞社の人間であれば喜んで取材に応じる人が多いけれど、どこの馬の骨だかわからないサイエンスライターに割く時間なんかないんだよ。

それがオレが体験してきた、肩書き社会という言葉の本当の意味だ。

オレがあえて「サイエンスライター」という呼び名を使っている一つの理由は、欧米と比べて蔑まれている職名に少しでも重みをつけたいと考えているからだが、ここのところ、かなり限界を感じ始めている。
誰かに褒めてもらいたいわけじゃないけれど、事実上、孤軍奮闘状態で、日本という国の知的現状に幻滅感を抱くことも多い。

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さきほど12チャンネルでフェラーリの「量より質」というブランド戦略をやっていたが、物書き稼業の場合、本の値段はほとんど同じなのだから、「質」で売るという方法自体が存在しない。
これは、ある意味、驚くべき多様性のなさであり、どんなに手間暇をかけた力作でも、そうでない本でも、みんな十把一絡げで同じ値段なんだから、車でいえば、フェラーリくらい労力をかけてカローラの値段で売るしかないわけで、不思議としかいいようがない。(カローラに乗っているみなさん、カローラを開発したみなさん、別にカローラが悪い、と言っているわけじゃありません。)

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だから、夜中にふと考えることがある。
オレがフリーじゃない名の通った新聞社のようなところのサイエンスライターだったり、大学の教授だったりしたら、世間は、もっとオレのことを信用して、本を買ってくれるのかなぁ、なんてね。
少なくとも、もっと多くの人に「発信」できるんじゃないか、とは考える。

一万人単位の人が自発的にオレの本を買って読んでくれるということは、実は、大変なことだと思うし、いつも感謝しているが、この業界では、十万人単位で買ってもらえない作家は文字通り芥(ごみ)のごとく扱われる。
ほんの一部の良心的な編集者だけがオレのことをまともに扱ってくれる。
でも、部数で作家の価値をはかる編集者がほとんどだから、彼らは、露骨にオレを蔑み、軽く扱う。そういった精神的苦痛を何度も味わってきたが、オレもそろそろ歳なんだろう、最近は、かなり苦しくなってきた。

たとえば、オレは翻訳もやるけれど、ベストセラーの翻訳を出版社から廻してもらったことは「科学の終焉」一度きりだ。あの本は、アメリカよりも日本のほうが売れたくらいで、凄くがんばったが、あれ以来、五万部売れることが確実な本をやらせてもらったことは一度もない。いつも、アメリカで一万部売れた本を、なんとか工夫して日本で一万五千部売りましょう、というような仕事ばかりだ。

その意味では、最初から「古典」を翻訳するマクスウェルの本の場合は、ベストセラーとは全く関係がないだけにやる気が出た。純粋に文化に貢献する仕事だからだ。

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ここ数年、一度も「息継ぎ」ができない感じがあって、かなり働きづめの状態が続いている。このまま息が継げないと、さすがに擦り切れちゃいそうだ。いくら精神的にタフでも、マットに沈むときは沈むぜ。

なんとかがんばって、五万部を超える本をつくって息継ぎをしたいが、なかなか水面に浮き上がらない。

欧米のベストセラーの科学書の翻訳とかやりたいよね。ふっ。

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