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2005年10月の77件の投稿

未来の活字文明

活字業界一本で生計を立てている一匹狼としては、将来の活字文明の動きから目が離せない。
流れを読み誤ったら、次の瞬間には、この世から消えてなくならないといけないわけだからな。
いきおい、情報分析も、真剣になろうというものだ。

***

コンテンツ産業、コンテンツ産業と周囲が騒がしいが、二年ほど前にFさんという人に誘われてJAPAという交流団体に入った。毎日のように数え切れないほど、関係者からのメールが送られてくる。
Fさんというのは執筆畑の人で、周三郎の先輩でもあり、湯川薫の小説の取材に来てくれたこともあって、なかなか、できる人だ。
だから、当初、JAPAという集まりも面白いのではないかと思い、少し参画を試みた。
だが、コンテンツ産業にたむろする無責任な人々の言動を耳にするたびに、段々と腹が立ってくるようになり、しまいには、送られてくるメールを全て破棄することと相成った。

驚くべきことに、コンテンツ、コンテンツと騒いでいる人々は、まるで、コンテンツが「無から湧き出る」かのような議論に明け暮れていたからである。

つまり、完全なる「作り手無視」の態度だったのである。

もっと精確にいうと、情報配信などのコストはきめ細かく計算しているくせに、肝心の製作現場=作り手のコストがほとんどゼロなんだよ。
この問題は、テレビのアニメ配信でも製作コストがほとんどゼロ、という惨状がたびたび指摘されてきたが、みんな、頭のネジが緩みっぱなしなのではないか、と呆れて物が言えない。

他人じゃなくて、てめえの褌で相撲とれってんだ。

農民が種を蒔いて、肥料をやって、畑を耕して、一年かかって収穫しなければ、食料は流通しない。

それと同じで、コンテンツだって、誰かがつくらないと始まらないんだけどねぇ。

とにかく、コンテンツ産業の関係者は、作り手の品定めばかりやって、「あいつはここがだめだ」とか「あの人はいい線いってるけど、売れるにはあれが足りない」とか言いたい放題なのだが、一つだけ忘れているのが、作り手の側だって、ちゃんと流通の人々を見定めている、という点だ。

二人三脚という態度でいかないと、お互い、将来は明るくないんじゃないでしょうか。

うーん、もともと、Fさんに声をかけられたきっかけは、「作り手の人の参加が少ない」という理由だったのだが、やはり、作り手同士の連帯感のような場がないと、作り手無視の人々の中で腹が立つばかりなんだよね。お役に立てずゴメン。

***

近い将来、活字文化は、やはり携帯型の電子ペーパー端末が支配的になるにちがいない。

縦書きブログの登場なども大きいと思うけれど、画面が「紙」にならないと、爆発的な普及にはいたらないと思う。

十年たたないうちに、家のパソコンや書店の端末や携帯電話経由で、本や雑誌をダウンロードして、電子ペーパーに表示させて読むようになる。これは、絶対になる。

逆にいえば、そうならなければ、活字業界は、このまま長期低迷を続けて、どんどん細ぼそりになるだけだよ。

つまり、グーテンベルク以来の大革命が、活字文明に訪れようとしているのだ。

***

そうなった場合、活字文明は、電子情報化と紙の文化のいい点が互いに補うことになる。

ただし、配信の形態がどうなるかはわからない。

予測その1 現在のテレビのように広告収入でまかなって、読者にはタダで届けられる

予測その2 電子的な保護を完璧にして、「その」電子ペーパー端末でないと表示ができないような仕組みにして、コンテンツごとに課金する

実は、かなり前から、単行本にも広告を載せたほうがいい、という意見をもっているくらいなので、できれば、「予測その1」の形態が普及するといいと考えている。
かなり、実現は難しいだろうが。

大儲けをしたい作家は別として、多くの作家や漫画家やコンテンツの作り手は、安定的に好きな作品を作り続けたい、という気持ちをもっているような気がする。
金儲けをしたいなら、別の職業を選んでいる。
創作活動が楽しいから、あえて、作り手の側に回っているんだよ。

まあ、両方の形態が両立してくれれば、バランスがとれるかもしれないね。

あと、5年で、なんとか「グーテンベルク以来の革命」が起きてほしい。
そうしたら、オレは、現在は出版することができない究極の難解な思想書を出してやるからな(笑)

オレの場合、産経NetViewでは、お目当ての記事を100%から140%に拡大して読む習慣がついているのだが、電子ペーパーで小説を読むときも拡大機能を使うようになるのか・・・。
フリガナのようなものも必要に応じて表示させればいいわけだし、動画もリンクさせられれば、活字文化の幅は一気に拡がる。

今のところ、電子書籍業界は、携帯などを中心に市場が拡がっているようだが、本当の読書人を取り込むであろう次の段階が決め手になるにちがいない。
つまり、オレや、この日記を読んでいるような「読書人系」の取り込みだ。

うーん、ここのところいいことのない書籍業界も、実は、将来の展望はかなり明るい、というのが本当だろう。

少部数の小説や学術書なども比較的楽に出版できるようになり、この国の衰退しつつあった活字文化が再び多様化され、活性化されることを望んで止まない。

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不条理

風邪が治りかかったり、ぶり返したりで難儀している。
レバニラ炒めを食べたりして、せっせと栄養を採っているのだが、なぜか、風邪は治らず、腹回りばかりが膨らんでゆく。

不条理な世の中だ。

栄養、少しはお腹じゃなくて風邪のところに行けよ! もう、お腹ポンポンだぜ・・・。

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思想書

最近は、サイエンスライターとかミステリー作家とかいう肩書きを使うことが多いが、むかしは、科学哲学者という肩書きを使っていたこともある。

今、時間論の原稿を途中まで書いたのだが、雑学書であるにもかかわらず、どう考えても哲学書だぜ、コレ(笑)

問題は、大学の哲学科でやる哲学ではなく、現代物理学という名の思想であり、いわゆる「コト的世界観」から見た時間論である点だ。

誰が読むんだ、コレ。

もともと科学史・科学哲学分科というところの卒業であるし、オレの卒論は「ゼノンのパラドックス」だったのだから、原点回帰といえなくもない。
いっそのこと、肩書きを「科学哲学者」に戻そうか。

オレは、ようするに科学解説家でもなければ小説家でもなくて、根は「思想家」なわけで、それを科学の副読本やミステリーという恰好で世に問うているから、いつまでたってもオレが何をやっているのかが周囲に理解されないのかもしれんな。

「世界が変わる現代物理学」は、その意味では、初めて思想家としてのオレが前面に出かかった本だったが、NHK出版の「物質をめぐる冒険」では、さらに一歩踏み込んだ感がある。じわっとオレの思想が滲み出ている気がする。

あえて哲学書とか思想書と銘打たないで「仮面」をかぶっているところにオレの生き方が出てるなぁ(苦笑)

***

それはそうと、7日の原子力シンポジウムは、もう満杯になってしまったそうです。早っ。

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凄いぞバブルリング

いつも文句ばかり書いているようだが、そうでもない。

最近、テレビ東京の「テレビチャンピオン」を観ていたら、「バブルリング」なるものをやっていた。

驚いたなぁ、もう。
ダイバーの口から、空気の環っかが出るんだぜ。

調べてみると、1981年にはすでにダイバー専門誌に報告されていて、日経サイエンスにも1996年に論文が出ている。元はイルカの遊びなのだという。

「みろみろ、この動画」
「なによ」
「イルカが口から環っか出して遊んでいる図だ」
「まあ、かわいい!」
「人間のダイバーもできるそうだ」
「神秘的ねぇ」
「二つのリングがぶつかると融合するんだぜ」
「すごーい!」
「これってさ、超ひもの相互作用と同じなのだよ。もともと超ひもは量子化する前は光速で回転する環っかだからな。もっとも、ひもの光速回転は横方向で、バブルリングは回転方向が縦である点が食い違うが」
「(溜め息)ごめんなさい、急に用事を思い出したの。もう行くわね」

なぜだー!
バブルリングの美しさと超ひもの美しさに違いがあるとでもいうのか?
わからん・・・。

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更新情報

「心象風景」を6葉追加しました。

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百面相

誰だって、人前と、家でリラックスしているときでは「顏」がちがうが、オレの場合、ホントに顏が違ってくる。

猫が机に乗ってこちらを見ていると、オレは、いきなり百面相を演じ始める。

舌を出したり、目をひんむいたり、歯を出して威嚇してみたり、徐々にエスカレートして、しまいにはタランチュラ(=手だがな)や未知の生命体まで登場する。

勝負の分かれ目は、猫が興味をもって目を爛々と輝かせて近づいてくるか、それとも「アホくさ」と欠伸でもしてそっぽを向いてしまうかだ。

オレが大空を舞うプテラノドンになっているときに運悪くK妻が玄関から帰ってくることがある。

オレは、一瞬、凍りつく。

みんな、敵の来襲に備えて臨戦態勢だ。

「ただいま・・・なんで家の中でこうもり傘さしてんの」

「いや」

「雨降ってないわよ」

「きみは、いま、われわれをジュラ紀から現代にまで、タイムワープさせてしまったのだよ。なあ、サーベルタイガーの諸君」

「サーベルタイガーはジュラ紀じゃなくて、第四紀更新世よ」

「うっ」

やだねぇ、古生物学が得意な奴は。

たまには想像という名の翼を広げて、大空に飛び立ってみたらどうなんだ。ぶつぶつ。

かくて、家の中は現代に戻り、オレも猫たちも、テレビや食事といったつまらない日常へと戻るのであった。

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グレーゾーン

「うーむ」(オレ)
「なに唸ってんの」(K妻)
「この子さ、意外と上手いよ」
「そう」
「もしかしたら合格するかもしれん」
「ふーん」
「優勝するかもな」
「そうかしら」
「だって、かなり上手いよ」
「その人、出場者じゃなくて、プロの歌手よ」
「・・・」

あまり歌手とかを知らないので、テレビの歌合戦なんぞ見ていると、よく勘違いすることがある。

昨今は、歌手だけじゃなく、とかくプロと素人の力量の差が見えなくなってきた気がする。
実際には、下手に見えてもプロには、プロとして十年も二十年も生きているだけの「何か」があるから、歌を一曲歌えばいいってもんじゃない。
だが、歌一曲、小説一本という単位で見せられると、本当にグレーゾーンが拡大しつつあるよね。

カラオケとかパソコン(ワープロ)の普及により、素人でも、プロと見まがうような結果が出せるようになった。
もちろん、その一曲、その小説以外のところを見ていけば、差は出てくるんだろうが。

歌手も作家も、一発狙いでデヴューさせて、派手に売ったりするから、受け手のほうは、もう「質」を見極める目がなくなっちゃってるよ。

テレビの芸人を見ていると、才能があって芸人を「張っている」親分たちが何人かいて、それから実力で生き残っている一匹狼がいて、その他に、才能はないのに「一発」でデヴューしてしまって、すぐに飽きられて、親分たちの配下に入って細々と仕事を廻してもらっている人たちがいることに気づく。
この最後のタイプの人たちは、たしかに見ていても全然面白くないし、芸人が向いていないのがよくわかる。

そうやってオレの業界を見渡してみると・・・う、ここら辺でやめとこ。口は災いの元っていうからのう。

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二世、三世

小泉首相も次期首相候補の安倍さんも業界の二世、三世だが、日本という国の閉塞状況には、この「業界内世襲制」が一役買っている。
大学教授も二世、三世、会社の社長も二世、三世、右を向いても左を向いても二世、三世。
今や、江戸時代末期みたいに、日本中が沈滞ムード一色なのだ。

二世、三世は、幼いころから、その業界のノウハウを伝授されて育つから、ようするに英才教育なのであり、それなりに業績をあげる人も多い。
だが、二世、三世は、親がいたれりつくせりでスタート地点を用意しているため、外部から入ってきた人とは苦労の度合いが違う。(小泉さんは、しょっぱなから落選でスタートしたので、それが後の人生にプラスに働いたんだろうなぁ。でも、そういう人は例外だ)

ダメな二世、三世は世の中に大勢いる。

去年だったか、コンテンツ産業を振興する、という人に焚きつけられて、海外の漫画雑誌にSFの企画を売る、という仕事をやったことがある。
売れっ子作家の藤木稟さんに声をかけて、一緒にシナリオを練ったのだ。
そのとき、KF元首相の息子と称する人がブローカーとして登場した。(ほら、漫画の「ダメおやじ」みたいな顏をした元首相・・・あえて誰とは言わないが)
彼は、コンテンツ産業の海外への売り込みについて熱く語り、自分の売り込み能力に自信を覗かせたが、私の名刺を見るなり、
「失礼ですが、あなたはあまり知名度が高いとはいえない。でも、海外なら先入観がないから売れます」
とのたもうた。

この言葉に、オレは、かなりカチンと来た。

そうだよ。
科学書業界では有名でも、別にテレビに出てるわけじゃないから、そこら辺の道を歩いているオバサンやオジサンには知られていないし、科学書なんぞ一生読まないであろうアンタにも知られてないよ。

まあ、元首相の息子、というのが知名度が高いかどうかわからないが、こういうタイプの人は、日本中にごまんといらっしゃる。
で、ご想像のごとく、長時間かけて仕事をさせられたあげく、彼は見事に売り込みに失敗した。

***

この国は、もっと実力本位で、能力のある人をどんどん登用していかないと、本当に沈滞ムードどころか国際競争に負けて、奈落の底に転げ落ちるだけだぜ・・・。

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トラウマ

人間てェやつは、みんな幼少時の苦しい体験だとか、失恋のショックといったものを抱えて生きている。

オレの場合、二つの大きなトラウマがある。

トラウマその1。
小学校のころ、いきなりアメリカに連れていかれて、当時は日本人学校なんて気の利いたものも存在しなかったので、現地の学校に放り込まれて、エイビースイーもわからないのに、初日から宿題が出た。
必死になって黒板を写した憶えがある。
だが、家に帰って父親に解読してもらったところ、「Homework」というのが「宿題」であることはわかったが、哀しいかな、時間が足りず、課題の途中までしかノートに書いてなかった。
翌日、宿題が出されていることがわかっているのに、それを「忘れる」ことになるため、子供心にどんな罰を受けるのかと非常に心配した。

今では中途半端なバイリンガルとなってしまい、誰からも嫌われるのではないか、と日々怯えて暮らしている次第。この英語と日本語の板挟みのトラウマは、おそらく、一生消えないだろう。また、ほとんど誰にも理解してもらえないこともわかっている。
夜中に英語で譫言(うわごと)言ってることもあるらしいが、傍から見ると気持ち悪いだけだぜ。

トラウマその2。
前に毎日出版文化賞というので最終選考に残って、最後の二冊まで残って、受賞を逃したことがあった。
今年も別の賞の最終選考で受賞を逃した。
実は、この「一番になれずに二番手に甘んじる」というトラウマは、幼稚園にまでさかのぼる。

幼稚園のとき、オレは足が速くて、運動会の障害物競走でぶっちぎりで一位になるはずだった。だが、あと5メートルというときに、オレは、後続の園児たちのことが急に可哀想になって、わざと足を遅くして、最終的に二番でゴールインしたのだ。
これは、日頃、バスや電車の中では、席から立って、弱い人々に席を譲るようにと、カトリックの母親から強く指導されていたのが、妙な形で出たのだ。いや、ホントの話。深層心理というやつは恐ろしい。

で、それ以来、オレの人生には、「恐怖の二番」がついてまわることとなった。
大学院でも名前つきの大きな奨学金がもらえるはずだったのに、コントグーリスという意地悪な指導教官に皮肉たっぷりの「推薦状」を書かれて次点に廻ったことがある。奨学金の担当教授が気の毒がったが、オレが、「幼稚園以来の呪いです」と説明すると、きょとんとした顏つきになっていた。
大学院の博士課程の予備試験でも成績が二番だった。オレは一緒に勉強していたベルトランというフランス系カナダ人に試験問題をたくさん予想してやり、いくつか的中したのだが、オレはその問題の解答を誤り、ベルトランが一位になったのだった。一位になると、やはり大きな奨学金がもらえる上に奇妙な称号までもらえるのだが、二番だと何もない。

実際、社会において、一番と二番の差は大きい。
勝者が全てを取る(Winner takes all)という表現があるけれど、あれは紛う事無き真実である。
オレは、常に二番手の位置から、一番手の奴が全てをかっさらっていくのを目撃し続けてきた。

オレは、いまだに、こんなことを夢想する。
もしもタイムマシンがあって、幼稚園にまで戻ることができたなら、オレは、悠々と一番でゴールして、ゴール直前に後ろを振り向いて、
「てめえら、ざまあみろ。オレは一番だからすべての名声と地位を手にし、おまえら二番手以下の園児には、菓子も褒美も何もないのだ。ふわぁーっはっはっは」
とアッカンベーをする。

***

いや、きっと、アッカンベーをした瞬間に蹴躓(けつまず)いて転んでしまい、砂にまみれたオレの横を一番手の園児が悠々とゴールインするんだろうなぁ・・・。ふっ。

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お断り

実は、この日記にもたびたび登場するK妻は、病気療養中です。
おかげさまで快方に向かっておりますが、精神的に極端に落ち込むこともあり、この日記とのリンクを一時的に解除することにしました。

この日記は公の性格が高く、K妻のサイトは私の性格が強く、現状では、その食い違いが悪い方向に作用してしまうからです。

どうしようもないときの心情の吐露は、K妻にとってセラピー効果があるので、彼女自身の日記は続けたほうがいいと考えているのですが、私の日記とのリンクが存在することはいい効果を生まないようです。

K妻も調子のいいときは、愉しい言動が復活しますので、私もこの日記にこれまでどおり「寸劇」として書くつもりです。

シュレ猫人からのK妻サイトの削除について、不審に思われる方もいらっしゃるかと思いましたので・・・。

ま、世の中、いろいろあるけれど、前向きにユーモア精神で乗り切るべし! 引き続き、応援ヨロシク!

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更新情報

ハッピー薫絵、更新しました。

ハッピー、ハッピー、今日もハッピー。
ハッピー薫絵で幸福な気分を味わっておくんなせい。

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高校生記者

高校生の読者から「社会人インタビュー」の依頼があった。

自分が興味をもつ職業に就いている人と電話やメールではなく、直接会ってインタビューする宿題なのだそうだ。
驚いたことに、「ペンローズのねじれた四次元」から始まって、「虚数の眼」や「夜の物理学」まで読んでくれているようなので、こりゃあ、断れないよね。

で、シュレ猫後援会にも申し込んでくれたのだが、あれは社会人価格なので、高校生だと申し訳ないよなぁ・・・どうしよう。
とりあえずシュレTシャツは実費で三千円くらいするので、それはインタビューのときにもっていくつもりだが。
喫茶店代をおごってあげれば、トントンかな?

ねじり鉢巻きで仕事をしているときに、こういうのは、ちょっぴり嬉しい出来事だ。

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間翼

最近、オレは自分が右翼に「なった」のではないかと思うことが多い。
むかしは共産党や社会党にしか投票しなかったのに、気がついたら自民党に投票しているのだから。

おそらく、真実に近い分析は、オレが左から右に変わった、というようなことではなく、社会全体が「左翼」的な思想や行動に現実味を見出せなくなった、ということなのだろう。例によって、オレのようなちっぽけな個人は、社会の大きなうねりにそのまま翻弄されているわけだ。

いや、さらに真実に近い分析は、社会と文化の変動によって、「左翼と右翼」というフランス革命以来の概念がそもそも通用しなくなってきた、ということかもしれない。

認識論でも「主観と客観」という図式は「間主観」という概念で塗り替えられているし、それは物理学でも同じだから、おそらく政治思想だって「間翼」(?)てな感じに様変わりしているんだろう。

そんなことは政治学者や新聞記者や当の政治家たちには常識なのかもしれないが、こちとら政治の素人なので、どうしても、旧態依然とした概念枠で情報を処理しようとする。だから、うまく情況が分析できずに、「あれれ?」と困惑するはめに陥る。

***

産経新聞と朝日新聞を読み比べしていると、それでも、古い概念枠で分類したほうが位置づけがわかりやすく、アメリカの新聞との対応関係でいえば、それはワシントンポストとニューヨークタイムズの関係に似ている。

小泉さんの靖国参拝の問題では、産経新聞のコラムが指摘しているが、ワシントンポストのロバート・ノバクによるコラムのほうが、ニューヨークタイムズの社説に数段勝っていたと思う。(ここでの引用はシカゴの新聞になっている)
ニューヨークタイムズの社説だと、まるで、首相の靖国参拝が国民行事のようにテレビで放映されたかのような誤解を与えるし、論者が、この複雑怪奇な問題を、きわめて皮相的にしか理解していないことがすぐに看て取れる。

戦後60年の日本の歩みは平和国家そのものであったし、戦争で一発も銃弾を撃っていないし、アジアの脅威でもなんでもない。
戦後15年経ってから生まれた私にとって、くりかえし、生まれる前の戦争責任を追及されても、困惑するほかはない。(「生まれる前のことを言われても、私はどうすることもできません。タイムマシンをもっていないので」)

家永三郎の「太平洋戦争」と早乙女勝元の「東京大空襲」が学生時代のオレの戦争観の大元にあるのだが、爾来、隣国からの「反省しろ」コールを聞かされるたびに、オレの中での戦争観は、次第に変貌を遂げていった。

中国は大国であるし、国内の舵取りも難しい。
だが、中国が、延々と日本を仮想敵国として非難し続けることで、オレのような「親左翼的だった戦後人間」すら、どんどん中国を敵対視する心情へと突き動かされてゆく。

オレはカトリックだし、政教分離の観点から、首相の靖国神社参拝には反対であるにもかかわらず、それを隣国から「軍国主義」と非難されると、「なに言ってやんでぇ」という強い反発心が湧くのだ。
石原都知事じゃないけれど、「チベット問題はどうなっているのですか?」と訊ねてみたくもなる。

そもそも軍国主義とか帝国主義というのは、嫌がっている相手を軍事力によって無理矢理征服することを指すのではないのか。
だとしたら、戦後、日本と中国が外国に対して行なってきた行動をみれば、皮肉としか言いようのない情況だけが見えてくる。

国連の分担金を日本が20%近く払っていて、(アメリカを除く)中国、フランス、イギリス、ロシアの四大国の合計より多いなんざ、「てめえら、ふざけるな」と叫びたくなる。
日本を安全保障理事会に入れてくれ、というのではなく、そもそも、安全保障理事国なんて、廃止すべきだと真剣に思う。
なんて、金も払わず、威張ってばかりいるアンタらのために、オレたちが税金を払う必要がある? そう感じている国民は多いだろう。

***

というわけで、いまだに心の奥底では、左翼的な価値観に郷愁を見出しつつ、言動がどんどん右翼化してゆくオレのような一般人は、今後、どうすればいいのだろう?

まあ、オレの場合、頭が古いぶん、それなりにバランスのとれた行動が取れるかもしれん。

これからは、あえて、「間翼」主義者ということで行ってみよう。(「インター・ウィング」とでもいうのか?)

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プロレス一元論

プロレスはいいと思うが、プロレスの掟をそのまま他の社会に持ち込んでマズイことになっているのが、国会議員の大仁田厚と報道ステーションの古舘伊知郎だろう。

二人ともプロレスのリング(の傍)では光り輝いていたと思う。
大仁田厚が高校をやりなおして大学まで受験したのも偉いと思った。
古舘伊知郎はF1の実況中継で「音速の貴公子」なんていい文句を飛ばしていた。

だが・・・。

二人とも、そういったノリが通用しない世界に行っても、いつまでも同じパフォーマンスを続けているために、周囲が引いてしまったんだよ。

国会議員は、パフォーマンスやって、なぜ悪い、と開き直っていい職業じゃない。
報道ステーションも、もっと落ち着いてやってくれないから、いつのまにか、見なくなってしまった。

***

話は少し変わるが、テレビで「小泉マドンナたち」という言葉をよく聞くが、あの人たちは、どう考えても「マドンナ」じゃないと思う。

マドンナとは、みんながあこがれる女性のことなのだ。
言葉の遣い方がまちがっている。
ちがうか?

***

今日は毒舌が止まらん・・・。

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ヨガ

K妻がインストラクターの業界誌を読みながら「××万円、××万円」と呟いている。

「また旅行代金の計算か?」
「ちがうわよ」
「やけに高いじゃないか」
「ニューヨークでは、もうエアロビは誰もやらないんだって」
「どういうことだ」
「流行は、すでにヨガとピラティスに移ったのよ」
「ふーん・・・で、××万円ってのは何だ」
「インストラクターの講座代金」
「・・・」

すげーなー。つまり、インストラクターはスポーツクラブで教えて給料をもらうけれど、その技量を教える連中は、インストラクターたちから××万円も講習料をとってやがんだ。

とはいえ、ヨガというのは、実にいい。
もしかしたら、オレのガチガチの関節も出過ぎたお腹も引っ込むポーズがあるかもしれん。
だとしたら××万円というのは決して高くないかもしれん。

「その講習、是非とも受けなさい」
「は?」

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削除

日記を一部削除しました。

私の日記は一般読者に向けて、作家である竹内薫が、そのとき、そのときの、ありのままの心情を表現するものです。つまり、あくまでも大勢の人に向けた表現であり、作品と同じなのです。

うーん、表現って、命懸けだね。

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売れる売れない

キスイヤを見ていたら、売れない芸人さんの話があって、紳助さんが、
「年をとってから売れる芸人さんもいるけれど、そういう人は、業界では芸が上手いことで知られていて、どうしてあの人が売れないんだろうねぇ、と仲間が話しているような人だ」
というような内容のことをしゃべっていた。

ネットワーク科学を少し勉強してみると、社会学・経済学の問題として、何がヒット商品するかは、予測不可能であることがわかる。

つまり、小さな業界ネットワークの内部では、「鑑定人」の目がしっかりしているから、その人や商品が「いい」か「悪い」かはとっくのむかしにわかっている。
だが、その狭い社会内において「いい」と思われているからといって、それが一般社会に、いつ普及する(=売れる)のかは、誰にもわからない。

売れっ子の小説家の中には、三十三冊目にようやく売れました、とか、苦節十五年なんていう人もいるけれど、そういった人たちが、どうして長期間、作家稼業を続けられたのかといえば、彼らは業界内では「いい」ことが明らかだったからなのだろう。
そうでなかったら、数冊売れない時点で、さっさと編集者から見放されていたにちがいない。

売れる、売れない、というのは、あくまでも最後の結果なのであって、それが数学的(ネットワーク科学的?)に予測不可能である点が面白い。

「運命の女神」は、いまだ、健在ということか。

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「心理」の問題

ここのところ世相を眺めていて、畢竟、人間てェやつは「心」の動きが決め手なのだと思うことが多い。

その1。
阪神が驚くべき三連敗で30失点、2得点。
あんなに強かったはずなのにいったい何が起きたのか?
外野のオレがこんなことを言うのも申し訳ないが、ここ数週間に起きた「事件」を振り返ってみると、考えられる原因としては、やはり村上ファンドの騒動しかないよ。
ファンも監督も選手も意識していないと言っていても、無意識のうちに、必ず「阪神の行く末」を心配しただろうし、迫っていた最終決戦に向けて集中心を欠くことになったことは否めない。
星野さんが「村上さんがファンだというのなら、なぜ、この大事な時期にこんなことをやるのか」と激怒していたが、あの怒りが全てを物語っている。
戦いの前の心理は非常に繊細なものだ。
そこに金儲けだけの論理が突入してきたのだから、平常心も何もあったもんじゃないだろう。
願わくば、本日の試合では、「開き直りの心」で戦いに臨んでもらいたい。

外野より失礼しました。

その2。
楽天対TBSの攻防戦。
諸井委員長が怒った時点で勝負あった、の感がある。
楽天の今後の展望は(起死回生の逆転がないかぎり)厳しいだろう。
もともと、ホリエモンの計画がことごとく潰されて、それとは対照的に楽天がすべてを掌中にしてきたのは、ホリエモんが一匹狼で三木谷がジジ殺しだからであり、それは単に人間心理の問題にすぎない。
オレはそう見ている。
だって、資金力や企業買収という手法に違いなんかないんだから。
三木谷という人は、むかしからジジ殺しの異名をとり、ようするに上司ウケがよく、上からかわいがられるタイプだったそうだ。(テレビで見ただけだがな)
たしかに、これまで、野球への参入にしても、ジジ様たちは、ホリエモンに辛く当たる一方、三木谷をかわいがっているようにしか見えなかった。
だが、今回、社会を支配しているジジ様の典型である諸井委員長が三木谷に対して激怒したのだから、もはや三木谷楽天の「神通力」は消えた。
同じような事件は前にもあったよね。
偽絵画事件で世間を騒がせた三越の岡田社長が、三井大番頭の小山五郎さんを激怒させて財界から追放されたじゃないか。

***

経済というと「お金」の問題だと思っている人が多いようだが、最終的には人間の「心」の動きで全てが決まる。
あたりまえだ。
これは人間社会の問題なんだから。

***

二つの事件とも、「ゼロからなにかを創造している」人々と「他人が創ったものを金にあかせて買い取る」人々の確執だよね。
オレとしては前者のタイプを応援したい。
でないと、本当にこの国には夢も希望もなくなっちゃうから。

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物理の本

世界物理年も、残すところわずかとなったが、ここにきて物理学書のいい本の出版が相次いでいる。

「ニュートンの海」、「誰も読まなかったコペルニクス」、「フーコーの振子」といった堅実な良書の翻訳を多くみるようになった。

惜しむらくは、こういった出版がもう少し早くきていれば、日本人も、もう少し「今年が物理の年であったこと」を認知してくれたのではあるまいか。

朝日カルチャーセンターの今期の最初に手をあげてもらったら、これまで1%から3%程度だった世界物理年の認知率が、ようやく10%程度にまで上がってきた。

テレビ関係が全くといっていいほど世界物理年をとりあげなかったことは、私を大いに落胆させたが、愛地球博につぎ込まれたお金の額をみれば、いたしかたのないことかもしれない。

しょせん、金と組織力の前には、「文化」という言葉など消し飛んでしまうのだなぁ。

テレビとは対照的に、新聞各紙は、去年から、かなりの紙面を割いて世界物理年の意義をとりあげてくれていた気がする。

やはり、最後に頼れるのは活字の媒体なのか・・・。

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宅配作家

アルバイトを始めようかと思う。
ピザの宅配だ。

いや、冗談である。単なる皮肉である。

***

あらゆる宅配業者がオレのことを暇人とみなしているらしく、配達のたびに頻繁に勧誘されるのは事実だ。
会社にいるべき時間帯に髭ぼーぼーで玄関先に出るのだから、暇を持て余しているように見えるのだろう。

去年も郵便局の配達人に「旦那さん、お暇なら、年賀状の配達やりませんか」と声をかけられたし、今度はピザかよ。

やってもいいが、あまりオレを雇わないほうがいいと思うぜ。
いつもケーキを買って帰るときに箱を傾けてしまって、中身が壊れていることが多い。
オレがピザを配達したら、ピザが半折りになってしまうにちがいない。

人には、それぞれ、向いた職業というのがあって、ズボラで体力のないオレのような人間が、マメに一軒ずつ品物を配達して廻る職業に向いているとは到底思えない。

***

ちなみに、横浜駅を歩いていると、わけのわからないチンピラ風情がK妻に近づいてきてトンデモない職業の勧誘をしおる。
さすがに並んで歩いていると遠慮するらしいが、タクシー待ちでオレが列に並んでいる間、K妻が少し離れたところで煙草を吸っていると、もう蠅のごとくたかってきよる。
おまえらなぁ・・・。

オレもK妻も外見と中身が大きくちがっているようで、ずいぶんと世間様から誤解されて人生を送っているらしい。

みんな、外見で判断せず、ちゃんと人の中身を見ようよ!

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マイレージも物欲か

最近K妻の影響か、あまり贅沢をしなくなった。
飛行機もパッケージ旅行で、もちろんエコノミークラスである。

行きも帰りもJALだったが、行きと帰りとでは雲泥の差があった。行きは空いていて、サービスもよく、食事もオーケーだったが、帰りは満員で、サービスは悪く、食事にいたっては吐きそうになった。
今回はK妻の静養が主な目的で、K妻の御両親も同行していたが、義父などは、帰りの機内食がくるなり、顏をそむけて、ぐったりとうなだれていた。

***

行きは暇だったので、「宇宙戦争」と「バットマン・ビギンズ」を見て、夕食の肉ジャガを食っていたらクアラルンプールに着いた。
席は半分くらいしか埋まっていなかった。
映画はともに最低の出来で、「宇宙戦争」にいたっては、なぜ宇宙人が勝手に壊滅したかも理解できず、また、どうして主役のトム・クルーズが特殊部隊なみの活躍ができるかもわからず、「未知との遭遇」のふれあいの音楽を重低音にしたとおぼしき、悪い宇宙人の抹殺機械の音響効果に苦笑し、つくづく、
(映画館に観に行かなくてよかったなぁ)
という思いに耽ってしまった。

「バットマン・ビギンズ」は、助演だと思っていた渡辺謙が、いきなり天井の梁の下敷きになって死んだのにも驚いたが、オレの脳裏には、
(ロビンはいつ出てくるのだ?)
という疑問が渦巻いて終わった。

二本とも駄作だねぇ。ハリウッドはこんなことではじきに滅びるにちがいない。

だが、飛行機の中で、見逃した話題作をまとめて観られるのはグッドである。

***

帰りは、もともと時間が変だった。
クアラルンプールを夜の10時半に出て、そのまま機内泊。
成田に朝の7時に着くんだから、寝られるかどうかで、天国と地獄が決まるってもんだ。
オレは、飛行機では寝られない性分なのだが、今回は、酷い風邪を引いていて、抗生物質から咳止めから、薬漬けになっていたうえに、K妻の睡眠薬ももらって呑んだので、離陸後30分で爆睡を始め、起きたら、あと1時間半で到着、という時間だった。

それはラッキーだったが、到着前の朝食がいけなかった。
朝の5時過ぎに灯がついて起こされて、いきなり、脂ぎった卵とソーセージとクロワッサンという次第。
眠いし、お腹は動き出していないし、まるで拷問だよ。
本当に吐きそうになった。

***

行きも帰りもアメリカン航空との共同運行便だった。
そこで、K妻の影響で、すっかり庶民派になったはずのオレは、またもや後悔していた。
(あれ? アメリカンなのかよ。たしかマイレージが貯まってたよなぁ)
念のため、航空券を見ると、分類は「Y」になっている。
ということは、たしか片道1万ポイントくらいでビジネスクラスにアップグレードできたんじゃないのか。
オレは、すでに14万ポイント以上もっているから、事前に手続きさえすれば、こんなにぎゅうぎゅう詰めで、足に血液が渋滞して、閉所恐怖症の叫び一歩前、という事態から解放されていたのではあるまいか。

うーむ、失敗した。

だが、オレは、同時に良からぬ発想を抱いていた。
(待てよ、K妻とK妻の御両親をおいて、オレだけが単独でビジネスクラスにアップグレードするわけにはいかん。それでは、やはり、外道のそしりを免れまい。なにしろ、マレーシアでの外食代は、すべて義父に払ってもらってしまったしな・・・かといって、4人分のアップグレードをするとなると、オレたコツコツと貯めてきたマイレージは一気に激減してしまう。うーむ)

オレは、いつのまにか、旅行の目的がK妻の静養にあったことなど、すっかり忘れて、金勘定ならぬ、マイレージ勘定にのめりこんでいた。
これが哀しき人間の性(さが)というものか。

***

次回、シュレ猫文章倶楽部でパリに旅行するとき、オレだけマイレージ使って座席をビジネスクラスにアップグレードしたら、みんな、怒るだろうなぁ・・・やっぱ。座長を下ろされるかなぁ。

発想(思考実験)だけは贅沢だが、実生活は意外と質素なオレのような人間は、はたして庶民派といえるのか?

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ルネサンス人

活字の仕事をしている人間てェやつは、日本以外の先進国だと、それなりに尊重される気がする。

前にも書いたけど、アメリカに旅行したとき、入国管理官に職業を訊ねられて、「Science Writer」と答えた瞬間、相手の顏が柔和な笑顔になったのが衝撃的だった。
イギリスのネイチャー誌やアメリカのサイエンティフィク・アメリカン誌なんかの編集者ともなれば、科学界からも丁重に扱われる大きな存在だ。

先進国ではジャーナリストの地位も高いのがふつうだ。
マスコミが第三の権力と呼ばれているし、社会的な責任も重い。

日本はどうかといえば、(サイエンスライターも含めて)ジャーナリストも「おまえらは主役じゃない」てな雰囲気が漂っていて実に不思議だ。
日本以外の先進国で新聞記者やジャーナリストに向かって尊大な態度で接する政治家は、即、命取りだと思うが、日本の政治家の言動をみていると、ジャーナリストを小馬鹿にしている連中が多いことに、あらためて驚きを隠せない。

情報は発信しなければ情報でないわけで、その発信を担っている人々を小馬鹿にしていたら、うまく世間に情報は伝わらないではないか。

最近、活気のある企業の多くは、「中身のないIT産業」などと揶揄されているが、実際は、「インターネットという新しい情報の担い手」なわけで、見方によれば、現代社会では、情報発信を握っている者が覇権を握りつつあるのだといえなくもない。

***

不思議でしょうがないのが、作家の格付けである。

この業界に身を置く人間なら誰でも知っていることだが、作家には偉い一流作家からオレみたいな三流作家まで、厳然たる格付けランキングが存在する。

横綱 歴史小説家←アンタは偉い!
大関 純文学系作家←アンタも偉い
小結 ノンフィクション作家←少し偉い

ここまでが一流。
で、お次がミステリー作家ときて、SF作家は、おそらく前頭の下位になって、どう考えてもエッセイストやサイエンスライターは幕内にはいない。(つまり、事実上、「作家」と呼ばれるかどうかの差だ!)

なぜ、科学系の作家が「作家」として扱われないのか、実に不思議だし、なぜ、歴史小説を書くと偉いのか、その理由も不明だが、こういった内部感覚は厳然と存在する。

「ライター」というのは英語では「作家全般」を指す言葉だが、日本では、ライターというのは作家よりも低い響きがあるのだ。だから、サイエンスライターや科学ライターとは言うけれど、科学作家という言葉は存在しない。

***

このような傾向と関係しているのかどうかわからないが、日本という国は、いわゆる「ルネサンス人」タイプを嫌うようだ。
ルネサンス人というのは、ようするに「なんでも屋」のことである。
ジャーナリストやサイエンスライターてな職業は、そもそも「博識の蛸」てゆーか、「情報の八本足」みたいな性格じゃないと務まらないから、ルネサンス人の典型だろう。

よく「マルチ」というような言葉がつかわれるが、それに近いかもしれない。

IT産業の旗手と呼ばれような人たちも、ある意味、ルネサンス人的なビジネス展開をしているけれど、世間からは冷たい目で見られがちだ。

対照的に「一芸に秀でた」というべきか「専門馬鹿」というべきか、政治家は政治家なのであり、ルネサンス人とは程遠い。
小泉さんは歌舞伎やオペラが好きで、食通でもあるみたいだし、比較的ルネサンス人的だから「変人」とかいわれてしまう。

野球でいえば、ホームランバッターでもなく、剛腕ピッチャーでもなく、オールラウンド・プレーヤーという感じだろうか。

***

なんでもいいけど、もうちょっとサイエンスライターの地位を高くしないと、生きるのが辛い。(それがオチなのかよ!)

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ヴァイキング襲来

昨夜はざあざあと雨が降り続いていたが、夕食にレストランを予約しようとしたら、お目当ての「ルー」という西洋料理の店が満員なのだと。

今はシーズンオフで客も少ないので、わが耳を疑ったが、どうやら本当らしい。

別のレストランに変えたが、行きがけにルーの前を通ると、北欧のヴァイキングの末裔と思しき連中がレストランを占拠していた。
どうやら団体さんらしい。

このリゾートは、Tanjung Rhuといって、今回が二度目なのだが、団体客はみかけたことがなかったので、少々驚いた。

言葉を聴いていると、英語でもフランス語でもドイツ語でもないことはわかるが、何語なのかは不明。

今朝、海岸をぞろぞろと行進して、数隻の船に乗り込んで沖に消えたから、やはりヴァイキングだったのだろう。
(魚と鷲の餌付けツアーだってさ)

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つながった

数時間もネットの設定と格闘して、フロントとも詰めた(笑)結果、どうやら、オレがつないでいた回線は不通であるらしいことが判明。
電話を介してつなげたらうまくいった。

でも、電話の案内には、外線でインターネットにつなぐ場合は「95」をつけろ、と書いてある。
これも、試行錯誤の末、「9」でいいことが判明。

うーむ。

アユーラヴェーダというらしいが、オイルマッサージをやってもらったら、褌一丁なので、かなり恥ずかしかったゾ。

リゾート地なのに、何時間もネット環境の整備に時間を費やしているオレはいったい何なのだ。
やだねぇ、情報社会に洗脳された現代人は。

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Romaji Nikki

Komatta, komatta.

Ima, saru gaikoku ni iru nodaga, internet ga tuujinainoja.

Heya kara dial up de tunageyou to kakutou surumo...tunagaru kehai nashi!

Shikata nai node, kou yattte, roma-ji nikki ni natta youna shidai.

Broadband no kikai ga hotel ni 2-dai aru noda.

Kochira ha kumotte ite ondo ha sesshi 27do kurai.

Iyaa, sore ni shitemo, kana ga tukaenaito, kon nani mo fuben na mono ka.

Ittai dare da? Meiji-jidai toka senngo ni kana wo nakushite, roma-ji ni shiyou nado toiu bakageta koto wo shuchou shita nowa?

Daitai ni shite, "ha" wo "wa" to kaku beki ka mo wakaranai dehanaika!

Uunn, kore kara spa de massage shitemoraou tto...

Mata kakimasu.

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出張

本日から出張にて、ブログ更新が滞ると思います。
ネット環境次第では、書きためておいて、送信できるようになってから書き込む可能性もアリ。

昨日は咳が酷く、赤髭医院でもらった薬のほかに、レバニラ炒めを食べて、ヴェポラッブを塗って、マスクをして寝たら、なんとか咳だけは収まった。
うう、なめくじのごとく這って、出張してきます。
(これって出張なのかよ!)

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ミソと国会議員

鎌倉の紀伊国屋で熊本の「幻の味噌」の即売会をやっていた。
わざわざ九州からやってきた若者があらんかぎりの声を張り上げているが、客は、みな素通りだ。
それを見ていた紀伊国屋の店員が、たまりかねて、そっと近づいて、
「あ、すみません、お客様が驚いていらっしゃるようなので、もう少しトーンを下げていただけますか?」
面白いことに、この忠告を聞いて、若者が少し落ち着いてしゃべりはじめると、これまで敬遠していた客がちらほらと話に耳を傾けるようになり、何人かは実際に購入したではないか。

横浜駅に戻ってスープストックで東京ボルシチを買っていると、後ろで県議会議員の某1が参議院議員候補の某2の応援演説をやっている。
あらんかぎりの声を張り上げているが、だーれも立ち止まって聞く者はいない。

ミソも国会議員も同じだな、こりゃ。

***

K妻の病院に付き添った帰り、表参道からタクシーに乗った。

「渋谷駅の新南口までお願いします」
「は? 南口?」
「いや、新南口」
「はて、そんなのあったっけ」
「ほら、ホテル・メッツのところ」
「ホテル・メッツ?」
「湘南新宿ラインとかが止まるほうですよ」
「渋谷警察とかのあたりかな」
「・・・」

おじいさんの運転手なので、知らないらしい。
なんとか辿り着いたものの、降りるときに、
「新しい駅なんだねぇ」
と言われ、思わず、
「そう、二、三年前にできたかなぁ」
と答えてしまい、どうにも気まずくなった。
オレが悪いのかよ!

***

ラピタの付録「ミニ檸檬」万年筆は手に入れた。
あ、オレは特権階級じゃないので、業界関係者がもってきてくれる、というようなことではない。念のため。
東京でも横浜でもほとんど売り切れだったようだが、なんと、周三郎が、あの後、小町通りの寂れた本屋に3冊も残っているのを目撃して、買い占めていたのだ。
だから、一本、お裾分けしてもらったような次第。

ふ、ざまあみろ。←誰に向かって言っているのか不明

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ダウン

ふたたび風邪でダウン。ここのところ免疫が下降線を辿っている感じがするゾ。

近くの赤髭医院は、町工場で怪我をした(「釘踏んじゃった」)工員さんから、世間話をしにやってきていると思しきお年寄りまで、超満員だった。

オレは、しばらく出張なので、念のため座薬ももらってきた。うー、ゴホゴホ。

***

新聞の勧誘が来た。

「日曜日、お休みのところすみません」(すまないと思うならピンポンするなよ・・・)
「今、なにか新聞はとっていらっしゃいますか?」
「ええ、ネットで××と××、それから紙で××と××」
「ナルホド、ネットの××と××と、それから××と××も大変いい新聞だと思いますが、○○もお読みになってみませんか」
「○○はね、個人じゃなくて、仕事の関係で別の事務所で取っているんだけど」(つまり、全部、読んでるんだよ!)
「そうですか、今、1週間、見本紙をお配りしているのですが」
「え? だから、読んでるんだけど」
「はい、おっしゃるとおりですが、宅配のものは、また紙面も少しちがいますし、お試しは無料ですし」
「今週は出張でいないんだよ」
「日時を指定していただければ、そこから1週間、お店の情報とともにお配りいたしますが」

うーむ、結局、来週から1週間、入れてもらうことにしたが、あきらかに意味ないよな。
それとも、無料宅配をオーケーさせるだけで、仕事の業績になるのだろうか。

それって、風通しの悪い会社の会議で、古参の社員が、企画にケチつけてコメント発して、仕事する「振り」してるのと同じ情況だよな。

テレビとITの連動ばかり話題になっているが、新聞各社も、これからはメディアの変貌という時代を迎えて生き残りが大変だと思うよ。
その衝撃は、かなり前に単行本業界には押し寄せてきたが、今、新聞にまで影響が出始めているらしい。

これからの「情報発信」はどうなってゆくのだろう。

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本日

本日はシュレ猫文章倶楽部の秘密会に出席予定也。
子供のころはJCIAというスパイ組織を統括していたが、今は、同じような秘密結社を主催しているわけだ。

文章倶楽部の連載でお馴染の沙架さんが椎間板ヘルニアで手術をするというので、本日は、会合の前にお見舞いにゆく。

そういえば、前回、中華料理店で老酒を飲みながら、沙架さんが、
「寝違えちゃって、手が上にあがらないんですよ」
と、ぼやいていたっけ。
みんなで酔っぱらって、
「アルコールを潤滑油にして腕を回そう」
などと冗談を言っていたが、今から考えると、寝違えたんじゃなくて、手術が必要だったわけだ。

かくいうオレも左足の踵が痛くてしかたないが、もしや、掲示板ではっしーさんが指摘していたように通風とか?
オレの同級生の産婦人科医のFくんも通風だって言っていた。
そんな年なんだな。

本日、文章倶楽部の会合では、新会員の「洗礼式」がある。
初めての提出作品をみんなでメチャクチャにけなして、今後の励みにしてもらおう、という次第。
怖くなりそうだ。

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時間論 仮目次

あー、秀和システムのTさんから電話。
「お約束どおり、ご旅行前に初稿をいただけますでしょうか?」
「・・・」
「あ、もしかして・・・」
「その、もしかしてだす」
思わず言葉尻がおかしくなってしまったが、こうなったら、飛行機の中でも出張先でも原稿を書き続ける所存。
ほら、こんな具合に、目次案もちゃんとできている。

***

プロローグ シュレ猫探偵団登場

●時間の基礎
・時間を測る方法(古典)
・時間を測る方法(現代)
・いちばん短い時間といちばん長い時間(1)
・時間はなぜ目に見えないのか(1)

●時間の哲学
・時間は哲学できるか
・アキレスと亀のパラドックス
・時間の論理学
・マクタガートの議論
・脳の中の時間
・いちばん短い時間といちばん長い時間(2)(ペッペル仮説)

●時間の物理学
・アインシュタインの4次元とは
・たくさんある時間
・光が感じるであろう時間
・電子が感じるであろう時間(ジグザグ運動の怪)
・エントロピーとの関係
・宇宙時間って何だろう?
・どこにもある? 小さなタイムマシン(量子の時間)
・ホーキングの「時間の矢」仮説
・ホーキングの「虚時間」仮説
・時間はなぜ目に見えないのか(2)
・なかなか難しい、大きなタイムマシン(ワームホール型)
・時の始まり
・時の終わり
・いちばん短い時間といちばん長い時間(3)
・時間軸が一つでなくなると宇宙はどうなる?

エピローグ シュレ猫探偵団撤収

***

受話器を置くと、今度は、ちくま書房のMさんから電話。
「あ、原稿の進展具合はどのような感じかと思いまして、お電話差し上げてみました。10月はかなりお時間を割いていただけるとのお話でしたので」
「・・・」
「あ、もしかして・・・」
「その、もしかしてなる」
実は、もう選定作業が半ばに達しているので、帰国後1週間でなんとかなるそうだ。(他人事か?)
こちらは、もう目次案、出してあるし。

変だなぁ。たまに人気科学作家とか書かれるんだけど・・・「貧乏暇なし」って諺、本当だったんだね。


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撤収予告

シュレ猫探偵団は、無事、捜査を終了いたしましたので、これから撤収作業に入ります。

お読みくださったみなさま、どうもありがとうございました。

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ネット新聞、読み比べ

「星の王子さま」、「Yの悲劇」に続いて、今回はネット新聞の「読み比べ」をやってみる。(てゆーか、読み比べが趣味なのだ、オレは)

GOOGLEで検索してくれればすぐに出るので、あえてリンクも貼らないが、新聞社がやっているものに絞ると、主な一般紙は、

朝日新聞
讀売新聞
産経新聞
毎日新聞
日経新聞
東京新聞

という感じだろうか。

各社とも充実したサイトを展開していると思うのだが、このうち二ヶ所では、オレは有料サービスで記事を閲覧している。それで、いきなり結論だが、いちばん読みやすいのは、

産経NetView

である。月々315円というのは破格だと思う。また、他の新聞とちがって、ネットなのに「ふつうの新聞の紙面」がそのままの縦組みで読めるのが段違いに良い。また、紙の新聞の写真のところなどは、ネットだとカラーになったり、別の写真が見られたり、動画が見られたりする。また、残しておきたい記事だけをピックアップして印刷することも可能だ。

ありえねぇー。

産経新聞は、靖国参拝問題など、政治問題を中心として、オレの考えとはちがう主張も多いが、基本的にいろいろな新聞を読むことにしているので、さほど気にならない。

他の新聞も部数低下を嘆く前に、産経NetViewのような創意工夫を行なったらいかがか。オレだったらすぐに講読契約するぜ。

もしかしたら他の新聞でも同様のサービスをやっているのかもしれないが、一般読者であるオレがサンプルなどを見て廻った結果、産経NetViewしかみつからなかった。
おっちょこちょいなので、他にもあったら、是非、ご一報くだされ。

***

ちなみに、オレは、Scientific Americanはネットで講読していて、やはり、気に入った記事だけダウンロードして印刷して読む。
産経NetViewだと、ほとんどマックの画面で読んでしまい、必要な記事だけ印刷している。
これは、記事の長さのちがいからくるのだと思う。

新聞だと好きな記事だけ拾い読みするけれど、科学読み物となると、分量も多いし最初から最後まで通読するから、印刷しないと読む気が起きないらしい。

***

とはいえ、オレの場合、いまだに紙の新聞や雑誌も読むから、情報の採り入れ方も雑多な時代なのかもしれない。

で、最近はフリーペーパーを読むことが凄く増えた。木村太郎さんのコラムとかは毎週楽しみに拝読している。これも新たな情報流通のルートだよね。

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更新情報

「シュレ猫探偵団」は最後のエピローグまでアップしました。
校正が入っていなかったので、時間や場所の設定などが混乱してしまったことをお詫び申し上げます。
おかげさまで、かなり「バグ」は退治できたように思います。

NG集を少しアップしてから撤収します。

***

「心象風景」をあらたに6葉アップしました。

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幽霊会社?

NHK本にこんな図版を載せたいんだけれど、

こんな図版

メールを送っても返ってきてしまうし、担当編集者のKさんがFAXしてもなしつぶてで、電話しても別の会社につながってしまったそうだ。

残念ながら間に合わなくて載せられなくなりそうだが、インターネットの地図って、日本じゃやってるところないのかなぁ。
あまり詳しくないので、誰か、情報があったら教えてくれ!

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雰囲気読めよ

「シュレ猫探偵団」と「鬼愛」のアクセス数を比べてみると、約2.5倍の開きがある。
どちらが多いかといえば、オレの予測に反して、「鬼愛」のほうがはるかに多いのだ。

シュレ猫のほうは直リンクしている。それに対して、鬼のほうは名前だけ公表して、当初は誰も辿り着けなかったはずなのに、なぜ、鬼のほうがアクセスが多いのだろう。

オレの心の中ではシュレ猫は純エンタテイメントで鬼は純文学という位置づけなのだが、ふつう、エンタテイメントのほうが読者数は多いはずだ。

それとも、鬼のほうが大人向けで、シュレ猫のほうは対象年齢が低いからだろうか。リアルさに差があるからだろうか。

だとしたら、オレの書く科学書も、面白く工夫したものよりも、もしかしたら大人向けの思想書に近いもののほうが売れるのだろうか。

そういった読者の反応を一切読んで書かないから、オレの本は「編集者受け・玄人受け」だけして、一般に拡がらないのかもしれないな。

でも、正直いって、場の雰囲気を読むのが下手なんだよ、オレは・・・。うーむ。

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更新情報

「シュレ猫探偵団」は最終章をアップしました。

また、最終見取り図もアップしました。遊んでみてください。

あとはエピローグだけです。

撤収間近!

(くどいようですが、つじつまのあわない点および誤植をご一報くだされ。今のところ、エッシャー関係や贋作ビジネスの蘊蓄がもっとあったほうが面白いのではないか、というようなご意見を頂戴しております。撤収後、考えてみますので)

***

更新といえば、明日からは朝日カルチャーセンターで「ホーキングとループ量子重力」が始まります。
これまで基本的に三箇月で6回の講座を続けてきましたが、1月期からは、一回オンリーの講座へと移行する予定です。
その後、一つのテーマで6回連続という形態を復活させるかどうかは未定です。

***

うー、ちょい風邪気味で身体がだるい・・・ぶつぶつ。

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悪夢と仕事

誰の心の奥底にも恐怖の二文字が隠れている。
それは動物的な恐怖のこともあるが、過去の体験がなんらかの形で封印されていることもある。

今、悪夢を見て目が覚めてしまったので、この日記を書いているのだが、それはこんな映像だ。

(四角い波紋のようなもの。透明な四角形の中にたくさんの四角形が入れ子になっている。四角形は途中で切れたり消えたりしながら脈打っている)

夢の中で、オレは、この映像の意味を知っている。それは、今現在、オレのからだの・・・おそらく下腹部あたりで増殖しつつある癌細胞なのだ。もちろん、オレのからだは、すでにそれを察知しているから、そいつらを殺すために細胞レベルでの化学戦争が開始されている。

それは、生物学の教科書で見るような癌細胞とは似ても似つかない。だが、それこそが、オレの身体が感じて「見ている」癌細胞の活動なのだ。

オレは、いつも、この癌細胞の悪夢に悩まされるが、それは、幼いころオレをかわいがってくれた「おばあちゃま」と「おばちゃま」が二人とも癌で亡くなったことと無関係ではあるまい。
一家の大黒柱が早死にしたあと、貧乏で近所のお手伝いさんをやって二人の子供を育てたおばあちゃまと、やはり、大学進学を断念して教員試験を受けて小学校の先生になって弟を大学に進学させたおばちゃまは、人生に苦労しすぎたのか、あまり長生きできなかった。
弟というのは、もちろん隊長(=くどいようだがオレの父親のこと)である。

おばあちゃまもおばちゃまもオレの母親と折り合いが悪く、子供だったオレは、いつも苦しい思いをしていた。
今でも、身近な人が喧嘩をしていると、凄く哀しくなる。

オレは癌になることは怖くない。癌で死ぬことも怖くない。おそらくオレの宗教心が「存在しなくなること」の恐怖をうまく和らげてくれているからだろう。死後の世界を予感することにより、今現在の生活が楽になるのであれば、その(科学的根拠のない)仮定は人生を豊かにしてくれる。

オレがいちばん恐れるのは、自分ではなく、自分に身近な人や動物が病気で苦しんだり死んだりすることだ。そういう事態に直面するたびに、オレは、自分が代わってあげたいと思う。もちろん、それは神ならぬ身には許されないことだ。

***

ソニーコンピュータサイエンス研究所で茂木の同僚(というか副所長)の北野さんの本を作ることになった。
オレが企画をたてて、オレが聞き手だ。
オレの潜在的な恐怖と憎悪の対象である癌を退治する新しい治療法を北野さんは提唱している。それは、ある意味、物理学からシステム学に転じた人物でないと思いつかないような原理的な発想だ。

オレは、自分が生きている間に、癌の治療法が確立して、存命率が飛躍的にアップする場面を目撃したいのだ。

北野さんの仮説は、ネイチャーのような雑誌には特集やエッセイの形で載ることが多いが、残念ながら一般の目に触れることはほとんどない。
この仮説は、システムの一般論から始まっているので、癌だけでなく、社会組織(会社組織)にも適用できる。
ダーウィンの進化論以外に生物学には「原理」がないといわれるが、北野さんの目指すところは大きい。

今月末から集中的にテープ録りをして、オレが全力で文章にする。

***

悪夢の話から仕事の話になったが、オレは、いつも「死」を意識して仕事をしている。
(だから金が儲からないんだ。金はあの世に持って行かれないからな。出世や肩書きも同じ(笑))

マクスウェルの「電気論の初歩」は、社長がいい本を出さなくなったことに抗議して、さる有名出版社を辞めて自力で出版社を立ち上げた人物からの依頼で引き受けた翻訳だが、癌の悪夢とは反対の予感がした。
(もしかしたら、この翻訳は、オレが死んだ後に残る数少ない本の一冊になるかもしれない・・・)
本好きのオレは、できればいつまでもオレが関わった本がこの世に残ってほしいと考えている。
もちろん、残らないであろう本がほとんどだが。
オレは金にも肩書きにも恵まれないけれど、いつも本の仕事をしていて楽しい。
この国の文化を下支えしている、という自負がある。
世の中の偉い人たちからは全くといっていいほど評価されないが、オレは、自分で自分の仕事に「誇り」をもって生きている。
雑学本の体裁をとっていても、中身に、豪華装幀本や学術本に負けない奥行きをもたせることは可能なんだからな。
それはほんの少数の読者にしか伝わらないが、少しでも伝わったときの嬉しさは格別の味がする。

オレは本好き以外、なんの能もない人間なので、これからも末長く本とかかわっていきたいねぇ。

てなわけで、悪夢で目が覚めたわりには、なぜか機嫌がいいぜ。

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本日の喝

国民の血税の無駄遣いは高速道路だけではない。

COE(センター・オブ・エクセレンス=卓越した研究拠点)という構想は、研究費のばらまきを是正して、真に重要な研究にのみ重点的に研究費を分配する仕組みで、それなりにうまくいっていると思うが、中間評価で落第点をつけられた研究が2件、見直しを迫られた研究が4件あったそうだ。

当初の目標が達成不可能とわかって、交付金を打ち切るのはいいが、ここで問題なのは、返却金額である。
大学の名前は出さないが、一件あたり一億四千万円ものお金をもらって、落第点をつけられて、返却金額は三千万円から四千万円だそうな。三割程度しか返さないというのは、いったい、どういうことだろう。一億円というお金は、いったい、何に消えたのか。

オレは知っている。それは、なんと、ほとんど建物の建設費なのである。(ある取材現場で、ドーンと建物ができているのをオレは目撃した・・・)
本当にその研究を行なうために新しいビルが必要だったのか。

返却金額が少ないのは、ようするに、残りの金はハコモノに消えてしまって、返却不能ということなのだろう。

大いなる無駄である。

COEの研究費は(くどいようだが)国民の血税だ。
あらかじめ、その用途に厳しい縛りを設けてしかるべきだったのだ。
たとえば「等式が生む数学の新概念」という研究テーマは、理数系のサイエンスライターであるオレが聞いても思わず首を傾げたくなる。一億四千万円が必要な研究ではなかろう。

そんな無駄な金があったら、前途有望な若手研究者や学生に奨学金を出したほうがいいのではないのか。

国民は、もっと怒ったほうがいいと思う。汗水垂らして稼いだお金が、必要もない研究所の建物に消えたのでは、たまったもんじゃない。(誤解のないように付け加えておくが、実験が必要な研究なら、実験機器や実験室に研究費を使うことに何も問題はない。)

「いい制度ができたからとりあえず申請してみろや」
「わぁー、あたっちゃったー、どうしよう」
「ふ、適当に項目書いて、使っちゃえばいいんだよ。まずは海外の学会に出張だな。それから高性能パソコンも何台か買おうぜ。あと、居心地のいい研究棟と秘書も必要だ」

うーむ、思わず、連中の会話が脳裏に浮かぶ。

てなわけで、本日の喝! 無駄な補助金は全額返済させるべし!

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会食

本日も鈴木光司さんと会食。

物理学とか政治の意味不明の単語が乱れ飛ぶので、レストランの店員さんや店長さんは、不思議に思っているだろうなぁ。

オレは物理や哲学の話しかできないが、鈴木さんからはヨットやボクシングといった別世界の話が聞かれるので、いろいろと刺激になる。

鈴木さんは来週から東京国際映画祭の審査委員で缶詰めになるそうで、原稿の〆切とのかねあいで、スケジュールが厳しいようだ。

なんとかいい作品が仕上がるといいのだが。かなり期待している。

***

「シュレ猫探偵団」は第四章「復讐の館」まで掲載しました。

あと少しで完結です。

完結後、ゲリラ的に撤収しますので、(くどいようですが)読み過ごしのないようにお気をつけください!

校正が入っていませんので、おかしな点が残っております。すでに十箇所ほどご指摘をたまわり、ほとんど修正済みです。引き続き、誤植や不自然な箇所がございましたらご一報くだされ。

本来、こういった形は、シュレ猫後援会サイトでやりたかったことですが、クローズドな環境では限界があったみたいです。

まだ実験的な試みですが、感想をお送りいただければ、と思います。

***

そういえば、本サイト(http://kaoru.to)のミステリーのところに掲載しているニューヨーク紀行を読んで、メールで問い合わせがきた。内緒でホテルを教えてあげたら、秋のニューヨークを堪能して、昨日、帰国した、というメールをいただいた。ホテルが絶好で、凄くいい旅行になったといわれて、オレも嬉しくなっちゃったよ。

来年は、シュレ猫文章倶楽部をパリで開催する予定だが、ニューヨークにも立ち寄って大リーグ観戦でもしたいね!

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ラピタ

周三郎が珍しく「ラピタ」などという雑誌を買っておる。鎌倉の書店に一冊だけあったそうな。

「なんだ、ラピタって?」(オレ)
「ふふふ、万年筆が付いているのじゃー」(周三郎)

どうやら付録らしいが、黄色いミニ万年筆で、「檸檬」に出てくるのだと。もう製造していない品物らしい。

「いいな、オレも買おう」
「もうなかったよ」
「ばか、鎌倉は田舎だから一冊しか入荷してなかったんだよ。横浜に戻ればいくらでも残ってるさ」

黄色いミニ万年筆が欲しくてたまらなくなったオレは、予定を変更して、すぐさま鎌倉から横浜に取って返し、東口のM書店に直行した。

「あの、ラピタはどこにありますか?」
「申し訳ございません、品切れとなりました」

クソ! 一足遅かったか。オレは、踵を返してルミネ五階のU書店へと急いだ。

「はあ、はあ、はあ、ら、ラピタありますか?」
「ごめんなさい、売り切れです」

その後、数店を廻ったオレは、いつもの「座れない電車」の悪夢を見ていた。そうなのだ、オレは、いつも、オバサンとオジサンとオジイサンとオバアサンとワカモノとガキどもに先を越されて、一つだけ残っている席に座り損ねる人生なのだ。
はあ、はあ、はあ、ここがオレの思いつく最後の書店だ。

「あの、ラピタ」
「売り切れました」

うおぉーー!
欲しい、欲しい、欲しい!
万年筆なんかズェーッタイに使わない連中が、みんな、まとめて買っていきやがったにちがいない。
(今日は、早くから起きてたのに、ずーっとヤンキースのテレビ観てたからな・・・ヤンキースは敗退し、オレはラピタを買い損ねた・・・ふっ)

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素朴な疑問

本日の素朴な疑問。

Pさんに教えてもらったのだが、特別養護老人ホームで認知症のお年寄りが猫に足の指を五本も食べられてしまった、というニュースが駆け巡っているらしい。

調べてみたら、こんな具合だ。

讀売
朝日
産経
サンスポ

飼い主が死んで、何日も放置され、飼い猫たちが飢えて死体を食った、という話は聞いたことがあるが、他に食べ物がある場合、野良猫といえども生きた人間の指を食うという話は聞いたことがない。

猫と接したことのある人なら、誰でも、猫が魚の骨を食わないことは知っているし、食事の後にきれいに顏を洗うことも知っている。

そこで、仮に捕獲された猫が実際に足指を食ったとして、

1 なぜ、そんなに飢えていたのか?
2 骨はどうしたのか?
3 なぜ血がついたままできれいに舐めなかったのか?

という素朴な疑問が生じる。また、そんなに危険で凶暴な猫なら、どうして、

4 いとも簡単に捕獲されたのか?

という疑問もある。

情報が不足していて、ピアノマンの事例もあるので、オレの推理もあてにならないが、

推理1 生爪剥がし事件と同様、人間がやって、猫に罪をかぶせた
推理2 他の動物がやって、猫は、それを食べた(鼠?)
推理3 捕獲された猫が犯人だが、その理由は、二週間も隔離された中庭に閉じ込められて非常に飢えていた

というような可能性が考えられるだろう。

おそらく推理3が正しいのだろうが、推理1の可能性も棄て切れない。医者の証言があれば可能性を絞ることが可能かもしれない。

なんとも恐ろしい事件で、被害者にもそのご家族にもショックだったろうが、この特別養護老人ホームは、非常に管理に問題があるといわざるをえない。網戸云々の問題ではなく、生き物が密閉された中庭に二週間放置されていたとしたら、それこそ動物虐待だからである。飢えた猫が事件を引き起こしたのだとしたら、その責任は動物ではなく、施設にある。

なお、ここで引用した報道のうち、誰もが抱くであろう疑問に答えているのは、サンスポのみであった。
新聞の紙面は(オレの個人的な環境では当日の朝刊しか見られないので)未確認ですが。

その後の続報とかないのか?

猫好きとしては、野良猫を一方的に悪者にしている施設の言い逃れと情報の少なさに苛立ちを感じるぞ!

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佳境

シュレ猫探偵団は第三部「魔法のマント」まで掲載しました。

すでに掲載した部分でいくつか誤植および不自然な箇所を訂正しました。
読者のみなさま、ご指摘ありがとうございます。
(例:包丁→短剣、いないはずの公文がいるところ等々)

短期集中連載ですので、どうか、お見逃しなく!

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ピアスですか

「よし! セーフだ! バカヤロウ、つまらない抗議なんかするんじゃねえ。ポサーダの右足のほうが先にホームを踏んだだろうが! いいか、これで8回からクローザー投入だぞ」

 いつものようにオレがヤンキースのスーパー監督として作戦指揮を執っていると、K妻が、

「フフーン」

 と何かを自慢するときの顔つきでテレビの前に立ちはだかった。

「なんだよ、逆転かどうかの瀬戸際なんだぞ」

「ピアスあけちった」

「は? ピアスって……穴がふさがったのか?」

「いいえ」

「耳……じゃないのか」

「ちがいます」

「へそでもないのか」

「ちがいます」

 鼻とか瞼にあける人もいるらしいが、K妻の顔に別段異状はみられない。

「……どこにあけたのだ」

「あててごらん」

 うーむ、恐るべし。これ以上、オレには書けん(汗)

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インタラクティブ

シュレ猫探偵団は第二部まで掲載しました。

また、竹内薫自作のインタラクティブな館のファイルもダウンロードできます。
もともと建築のプレゼンテーション用に開発されたSketchUpというプログラムをつかってマウリッツ荘をそのまま再現してしまったものです。
SkethUpのホームページにいけばヴューワーがタダでダウンロードできますから、それをつかって、マウリッツ荘を廻してみたり、実際に中に歩いて入って、いろいろな角度から眺めることも可能です。(ヴューワーの使い方を習得するのに30分くらいかかると思いますが!)

これを眺めながらトリックを推測すると興味倍増だ!

遊んでみてください。

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夜の海

ジョギングの帰りに、どうも気分が晴れないので、そのまま反対方向へ走って、みなとみらいの臨港パークまで行ってしまった。

ふだんは寂しく、それこそ夜になるとお化けでも出そうな場所なのだが、今日はアベックが大勢いて、結婚式の二次会帰りの客たちががゾロゾロ歩いていて、おまけに警官まで見回っていたので、しばらくベイブリッジや沿岸の灯を眺めたあと歩いて帰宅。

警官がオレのことをジロジロ見ていたから、アベックの覗きにでもまちがわれたのかもしれん。
挙動不審のオジサンが徘徊していると思われたらしい。

***

シュレ猫探偵団は第二部の前半まで掲載しました。
都合により、次回、見取り図を載せます。
また、インタラクティブな館もダウンロードできるように工夫するつもりです。
乞う御期待。

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ジョギング

ふわぁーっはっはっは。

そんなネクラなこと書いていても何も始まらんぜ。

というわけで、ネクラの気分と少々出過ぎたお腹を引っ込めるために、ここのところジョギングに勤(いそ)しんでいる。

毎日、十五分くらいだが、横浜市が建設した散策コースを歩いて、適当に走って、息が切れたら、また歩く。

真夜中にコースを走っていると、いろいろな人に出会う。

ボクシングの練習でもしているのか、拳を繰り出しながら走っている若者。
犬の散歩をしているオジサン。
こんな夜更けに川べりに座って愛を語る(?)恋人たち。

で、オレが奇妙な目配せをして連絡を取るのは、もちろん、黒目が縦線になる連中だ。
(夜は丸いのだが)
「おう、ノラクロ、飯にはありつけたか?」
とか、
「チビデブ、惚れた腫れたばっかで猫生、棒に振るぞ」
てな具合に声をかけて歩く。

で、肝心のお腹だが、少し凹んできた気がする。K妻は「気のせい」だというが。
オレの最適体重は、ずっと75キロくらいだったが、一時は89キロにまで肥えてしまった。
今は83キロ。
うーん、あと4キロ落として、79キロくらいまでもっていきたいものだ。
(そうすれば往年のジーパンがはけるようになる)

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濁った奔流

日本の悪い奔流を感じ取ったのは、実は、大学時代だった。

当時の東大の学生には大きく分けて二種類の人間がいた。

ギラギラと出世街道の走り方ばかり考えている連中と、なぜ、自分がここにいるのか当惑している(しまった、と感じている?)連中だ。もしかしたら、このほかに、何も考えずに周囲が用意したレールの上を走ってきてしまった連中もいたかもしれない。

国会中継なんかに登場する人たちは、おそらく第一の部類だったんだろう。もっとも、片山さつきという人は少し年上で同じ時期に大学に通っていたはずだが、ミス東大というのは今も昔も意味不明で理解不能だよ。(毒舌御免! でも、あの人のしゃべり方がカンに障るのはオレだけか?)

文一という科類は、もしかしたら、多くの役人や国会議員のような人々の精神構造の「産卵場所」だったのかもしれない。
敬虔なキリスト教徒の家風(?)に育てられて、社会悪というようなものから隔離されて純粋培養されてきたオレには、なぜ、同じクラスの友人たちが、
「大蔵省は出世はいちばん遅い。いちばん若くて車がつくのは警視庁だ」
 などという話をしているのかが、まったく理解不能だった。
 
役所というのは、国民の税金でまかなわれているのであり、公僕という言葉もあるではないか。
それなのに、なぜ、その血税で自分が黒塗りの車に乗ることばかり考えているのだ。
だが、オレのそんな義憤は、そういったギラギラした連中にとっては、逆に理解不能だったらしい。
「じゃあ、おまえは、なんで、ここにいるんだよ」

***

諌早湾の干拓工事は、取り返しの付かない愚行だと思うが、誰もその濁った奔流を止められない。
小泉さんだって止められない。
一度動き出したら、人が何人死んでも、もう止まらない。
その根底には、人間の欲が渦巻いていて、黒塗りの車に乗ることが目標でしかない私欲にかられたエリートたちの網目が存在するからだ。

以前、養老先生が酒の席で、諌早湾の干潟を潰すことが環境に悪影響を与えることなど自明だ、とおっしゃっていたが、そういう「良識」は、黒塗りの車の連中によって潰されてしまう。そういう確固たる濁った仕組みがこの国を支配している。

八王子の山を切り裂く第二東名だって止まらない。
何万通の反対署名が集まろうが、なにしようが、絶対に止まらない。
小泉さんは、そういった無駄な高速道路の建設を阻止しようとしたが、最後の最後でうっちゃりを決められた。

***

田中真紀子という人は大金持ちだが、なぜ、あの人がそんなにお金をもっているのかを真面目に考える人は少ない。
もちろん、それは田中角栄という人がお金を儲けたからなのだが、いったい、どうやって儲けたのか。

田中角栄も田中真紀子も大衆に人気があるわけだが、だとしたら、諌早湾も第二東名も、その他もろもろの利権も、すべて大衆が後押ししていることになる。

大いなる欺瞞だ。

東大の文一も、新潟の選挙も、すべて濁った奔流の一環でしかない。

***

物理学科でも似たような発言を聞いて驚いたことがある。それは研究費の問題だ。オレにとって、大学の研究費も国民の血税から出ているという認識があったから、無駄に使ったり、自分のために使ったりすることは倫理に反するように思われた。
だが、昼飯を食いながら、ある友人は、
「そんなことどうでもいい。上から降ってくるんだから、好きに使えばいいんだ」
と平然と言ってのけた。

***

結局、この国の濁った奔流は、無数の目立たない「エリート」たちの倫理のなさ、公共心の欠如とともにある。

***

オレは、たまに自分が職業をまちがえたのではないかと悩むことがある。
自分の家がお寺かなにかで宗教者になることができたらどんなによかっただろう。
私利私欲の渦巻く濁った奔流から逃れて、まともな人の道を追求することができたら、こんなに毎日苦しむこともなかったのではないか。
そんな妄想を抱くことが多い。

***

思うところあって法学部に進まずに科学史・科学哲学をやり始めたころ、父親がポソッと呟いたことがある。
「薫は、以前のギラギラしたものがなくなってしまったな。それじゃ生きていかれんぞ」

親から見れば、他人を殺して自分が生き残る戦いを放棄した息子の行く末が心配だったのだろう。

今のオレは、たしかに他人を殺して自分が出世する類いの競争には、いっさい加わらない。

そういったオレの生き様を理解してくれる身近な人間もいない。

社会派の作家でもなく、反体制派のジャーナリストでもないオレは、今、あらゆることに宙ぶらりんの状態になって生きている。

ギラギラを失い、かといって、宗教者にもなれないオレは、次に何をなすべきか、自分でもわからないで足掻いている。

もしかしたら、それを知っているのは、オレではなく、読者だけなのかもしれない・・・。

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小さな世界

そういえば、村上世彰という話題の人だが、1983年に法学部を卒業しているということは、1979年に文科一類に入学しているのだろうか。
だとすると、オレと同級生ということになるぜ(笑)

東大の場合、入学時には全員が教養学部に属していて、受験のときに文一から理三まで数字で分類されるのだ。
そして、それぞれの数字には、専門学部への進学の際の条件がついていて、たとえば、

文一→法学部
文二→経済学部
文三→文学部

という進学の場合、成績が落第点でなければ、無条件に進むことができる。文二から法学部に進む道も開かれているが、その場合は、人数制限があって、成績の良い順に数名だけ認められるのだ。

ようするに、大学受験のときに、将来の進路を見据えて、偏差値とやらと相談しながら受験する科類を決めるわけだ。

文一は入学定員が600名くらいだったはずで、巨大な講堂での授業と、クラス別の語学の授業などがあった。

そうやって二年までは「文二」とか「理一」というような分類になっていて、キャンパスも駒場なのだが、三年からは本郷に移って経済学部とか理学部という専門学部に属するようになる。

昔はね。今はどうなってんだか。

で、オレは三年になっても駒場にいた。なぜなら、法学部に進学せずに教養学部に進むことに決めたからだ。そういう選択をする人間は非常に少なくて、周囲からは変人扱いされる。その上、一度大学を卒業してから、今度は理学部物理学科の三年生に学士入学をしたので、結果的に「文一から物理学科に進んだ」ことになって、本来はありえない進路だから、周囲からは本当に頭がおかしいと思われていた。

実をいえば、二歳年下の茂木健一郎は、理一から(まともに)物理学科に進学してきていて、そこでオレと出会ったのだ。
その後、茂木は、物理学科を卒業してから、学士入学で法学部に行ったから、結果的に「理一から法学部に進んだ」ことになって、見事、変人の仲間入りを果たしたのだった。

別にどうでもいいことなんだけど、なんだか、奇妙な縁みたいなものを感じたので書いてみた。

奇妙な縁といえば、山形浩生という人が、ニューヨークの同じ小学校に通っていた、というのにも驚いた覚えがある。当時はニューヨーク在住の邦人は凄く少なかったのに、その人の本をオレがたまたま書評で紹介していたんだから。もちろん、小学校が同じなんて知らずにだ。

ええと、これって、ようするに「小さな世界」のネットワークという奴でしょうか。だとしたら、数学的には、あたりまえの話なのかもしれんな・・・。

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ハマった

実をいうと、ここのところココログそのものにハマッている感がある。

物理的に実在する本(=ようするに紙に印刷して本屋さんで売る本)の仕事をやらないと収入がないんだけど、もともとパソコン大好き人間だし、ネットおたくでもあるから、ブログにはハマるんじゃないかと恐れていたんだ。

ブログの種類も、今のところ、薫日記、シュレ猫文章倶楽部、シュレ猫後援会、シュレ猫探偵団、鬼愛という具合に増殖する一方だ。

後援会サイトに掲載しているシュレ猫ロジー(=旧湯川薫日記編集版)もブログに移行した。

原稿を追加するのが、ブログ形式だと凄く効率がよくて、それがいつのまにか「快感」となり、オレをココログにハメているんだな。

ま、煙草も酒もダメだし、麻薬もやらんから、ブログにより脳内快楽物質が分泌されるのかもしれん。

だから、「シュレ猫探偵団」も、本当は、K社の編集のAさんのところに持って行って文芸の編集者を紹介してもらうよう、すでに話をしていたのに、なんだか、急にブログに載せたくなっちゃったんだよ。
「みんなに見せちゃえ!」てなノリで・・・。

そのうち、ココログ本にして自家製本として後援会だけに配るかもしれない。

うーむ、だんだん仮想空間に入り浸りとなり、現実空間での仕事をサボッているオレは、ビョーキか?

***

「シュレ猫探偵団」は第一部完結です。(早っ)

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第一部アップ

「シュレ猫探偵団・エッシャー館の惨劇」は第一部「キドナッパー」の半分までアップしました。

音楽や絵のリンクも張ってありますので、ミステリーに興味のない方も別の楽しみ方ができると思います。

是非、ご覧あれ。

***

昨日は珍しく革靴なんぞ履いたら、案の定、左足の踵の皮がズルッと剥けちゃったよ! イタイ! イタイ! イタイ!

いやね、いつもバンドエイドを貼るんだけど、まちがって右足の踵に貼り付けてやがんの。自分の足の右左まちがえる奴なんているか? (もちろん、いる)

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シュレ猫探偵団

純文学長編「鬼愛」はショッキングな内容にもかかわらず、読者からは心に響く感想をお送りいただき、大変ありがとうございました。

私は、もともと、友人の死がきっかけで法学部に進まずに(最終的に)作家になった人間です。「表現」する行為により、「生きる」ことができます。それが作家魂だと思っています。

だから、大丈夫、死んだりしませんよ。(複数の読者に御心配いただき大変恐縮です)

作品は作品。実人生は実人生。作品が生きる力を与えてくれるのです。

貧乏作家にも五分の魂(笑)

***

なお、「鬼愛」はもともと「きあい」と読んでいましたが、リンクの名前は「おにあい」としました。

さきほど公開を終了させていただきました。

***

バトンタッチの恰好で、いよいよ「シュレ猫探偵団・エッシャー館の惨劇」の連載開始です。

かなり手の込んだ内容です。

図版なども手間暇かけてつくってあります。

なお、エッシャー関係のミステリーには、似たようなトリックが出てくると思われるかもしれませんが、何が似ていて、何がちがうのか、読者自身の目で確かめていただきたいと思います。

***

校正が入っていないので、誤植やおかしな点があったら御一報くだされ。

また、本サイトの掲示板は主に科学関係の書き込みしかできない状態ですので、ミステリーファンのみなさま、どしどしコメントをお寄せください。コメント可にしてありますので。

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パーティー

小林秀雄賞の授賞式が神谷町のホテルオークラであったので行ってきた。

茂木と奥様と奥様のお母様に御挨拶し、編集者の人たちとも話をして、ちょっと酔っぱらった。

授賞式は、最初はオーケーで、茂木は、「いたこ」に小林秀雄の霊を呼び出してもらった話をして会場が湧いたが、同時に行なわれたドキュメンタリー賞のほうが、審査委員長の櫻井よし子さんが話し始めて、ちょっとげんなりした。

受賞作を一分くらい褒めたあと、長々と十分以上にわたって苦言を呈し始めて、

「上下二冊で冗長すぎた」

そうだが、オレにいわせれば、審査委員のおしゃべりのほうが冗長で、会場全体が苛立っているのがわかるほどだった。

うーん、周囲の雰囲気に気づかないということは、櫻井さんもお歳を召したということだろう。

なぜ、こんなことを書いているかといえば、櫻井さん御本人が、「批判精神」について滔々と語られていたからであり、オレも正直に批判させてもらおう、という次第。

茂木の受賞のほうは、満場一致だったらしく、批判めいた言葉はいっさいなかったが、審査委員長のスピーチがダジャレの連発で、これまた閉口した。

みんなが感じているけれど、誰も言わないことだと思うのだが、

「審査委員長は話を手短に!」

と主張したい。

今日は一晩中飲み明かすそうだが、オレは、早々に帰宅して仕事中。

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ななめ坊や

オレはずっと左足のアキレス腱というか踵(かかと)にヒビが入ったような違和感があって難儀している。

かと思うとK妻はエアロビのインストラクターだというのに左肩が90度までしか上がらなくて「40肩だ」などと騒いでいる。

これは、科学的には、二人とも左側に異常が出ていることが問題なのだ。

その原因はオレの科学的な分析によれば「ななめ坊や」である。

なぜなら、前にも書いたが、今住んでいるアパートの真ん前で、毎年、4人家族が茣蓙をしいてお線香をあげている姿が目撃されたからであり、オレは、それが事故か何かで不運にも亡くなった「ななめ坊や」を弔っているのだと感じたからだ。

また、ななめ坊やに取り憑かれたオレ様は、彼が左肩に乗っていることにより、左足の踵に故障を生じたのであり、たまに彼がK妻に乗り換えるため、K妻の肩も故障したのであろう。

そして、冬になると頻発する電気機器の異常や、自動販売機の異常なども、さらにはガソリンスタンドのブレーカーが落ちる怪現象なども、すべて、ななめ坊やの存在を仮定すれば説明がつくのである。

また、間接的な証拠だが、ウチの軍曹と伍長(猫だよ、猫!)が、空中を見上げて遊んでいる姿をしばしば目撃する。あれは目に見えないななめ坊やと遊んでいるのだ。猫は目が縦になっているからななめ坊やが見えるわけだな。

恐るべし、ななめ坊や。彼の正体やいかん。(彼の姿についてはゑび庵さんのイラストをご覧あれ)←なお、彼は、「物質をめぐる冒険」のショートショートにも登場する(せ、宣伝なのか、これは・・・)

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時とはなんぞや

辛いとか苦しいとか書くと、すぐにみんなから叱られるから、チョコレート効果でも食べて、脳に栄養を送ろう。(と、ここで封を切って3粒ばかり口に入れる)

今、時間論の本を書き始めているのだが、学生のころに読んだ「時間のパラドックス」という中村秀吉先生の本を本棚から引っ張り出して再勉強を始めたような次第。

物理学の時間論ならすべて「さら」で書けるが、ここのところ、オレの哲学的な教養は錆びついているので、マクタガートの時間論とかは復習しないと、もはや意味不明になりつつある。

「そもそも、なぜ、時間は目に見えないのか?」

「時間に始まりはあるのか?」

「時間に終わりはあるのか?」

「タイムマシンは可能なのか?」

「哲学者が議論している時間と物理学者があつかう時間は同じものなのか?」

「論理学の一分野である時間論理の時間は、物理学的な時間と関係あるのか? あるとしたら、それはニュートン的な時間なのか、それともアインシュタイン的な時間なのか、はたまたループ量子重力的な時間なのか?」

うーむ、謎は深まる。
この本、書けるのか、オレ。

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おっと

またネクラなこと書いてしまってゴメン。

ただ、どこぞの文化的な機関に所属して、もう少しじっくりと価値のある仕事をやりたい、という考えは持っている。

ただ、それも、一匹狼的な性格であるがゆえに、オレは、社会の上のほうにいる年配の人々から目をかけてもらうことはありえないから、事実上、チャンスは巡ってこない。(一匹狼か猫か? どちらかといえば猫に近いかも(笑))

いずれにせよ、オレは、今、いろいろな意味で、自分の人生と仕事を見直すべき時期にきているんだろう。
そんな気がする。

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野良猫

夜、独りで散歩していると猫に出会うことが多い。

猫は夜行性だからあたりまえなのだが、オレの姿を見て逃げると、心の中で、
(そうだ、それでいい、人間なんか信用するんじゃないぞ)
と嬉しくなる。
逆に、警戒心がなくて近寄ってきたりすると、次の機会に悪い人間に蹴飛ばされたり危害を加えられやしないかと心配になってしまう。

***

フリーのサイエンスライターというのは、現代日本においては、非常に厳しい職業環境にあり、よほど神経がタフじゃないとやってられない職種だ。
お金が儲かると勘違いしている人もいるけれど、まあ、大の大人を二人くらい養うのが精一杯だ。

この肩書き社会のなかで、所属機関もなければ、目をかけてくれる恩師もいないわけで、ある意味、野良猫と同じような生き方をしている気がする。

だから、サイエンスライターになりたい、という若い人がいると、オレは、新聞社や雑誌社に就職して、そこで記事を書くように勧める。
たとえば科学者だって、ナントカ新聞社の人間であれば喜んで取材に応じる人が多いけれど、どこの馬の骨だかわからないサイエンスライターに割く時間なんかないんだよ。

それがオレが体験してきた、肩書き社会という言葉の本当の意味だ。

オレがあえて「サイエンスライター」という呼び名を使っている一つの理由は、欧米と比べて蔑まれている職名に少しでも重みをつけたいと考えているからだが、ここのところ、かなり限界を感じ始めている。
誰かに褒めてもらいたいわけじゃないけれど、事実上、孤軍奮闘状態で、日本という国の知的現状に幻滅感を抱くことも多い。

***

さきほど12チャンネルでフェラーリの「量より質」というブランド戦略をやっていたが、物書き稼業の場合、本の値段はほとんど同じなのだから、「質」で売るという方法自体が存在しない。
これは、ある意味、驚くべき多様性のなさであり、どんなに手間暇をかけた力作でも、そうでない本でも、みんな十把一絡げで同じ値段なんだから、車でいえば、フェラーリくらい労力をかけてカローラの値段で売るしかないわけで、不思議としかいいようがない。(カローラに乗っているみなさん、カローラを開発したみなさん、別にカローラが悪い、と言っているわけじゃありません。)

***

だから、夜中にふと考えることがある。
オレがフリーじゃない名の通った新聞社のようなところのサイエンスライターだったり、大学の教授だったりしたら、世間は、もっとオレのことを信用して、本を買ってくれるのかなぁ、なんてね。
少なくとも、もっと多くの人に「発信」できるんじゃないか、とは考える。

一万人単位の人が自発的にオレの本を買って読んでくれるということは、実は、大変なことだと思うし、いつも感謝しているが、この業界では、十万人単位で買ってもらえない作家は文字通り芥(ごみ)のごとく扱われる。
ほんの一部の良心的な編集者だけがオレのことをまともに扱ってくれる。
でも、部数で作家の価値をはかる編集者がほとんどだから、彼らは、露骨にオレを蔑み、軽く扱う。そういった精神的苦痛を何度も味わってきたが、オレもそろそろ歳なんだろう、最近は、かなり苦しくなってきた。

たとえば、オレは翻訳もやるけれど、ベストセラーの翻訳を出版社から廻してもらったことは「科学の終焉」一度きりだ。あの本は、アメリカよりも日本のほうが売れたくらいで、凄くがんばったが、あれ以来、五万部売れることが確実な本をやらせてもらったことは一度もない。いつも、アメリカで一万部売れた本を、なんとか工夫して日本で一万五千部売りましょう、というような仕事ばかりだ。

その意味では、最初から「古典」を翻訳するマクスウェルの本の場合は、ベストセラーとは全く関係がないだけにやる気が出た。純粋に文化に貢献する仕事だからだ。

***

ここ数年、一度も「息継ぎ」ができない感じがあって、かなり働きづめの状態が続いている。このまま息が継げないと、さすがに擦り切れちゃいそうだ。いくら精神的にタフでも、マットに沈むときは沈むぜ。

なんとかがんばって、五万部を超える本をつくって息継ぎをしたいが、なかなか水面に浮き上がらない。

欧米のベストセラーの科学書の翻訳とかやりたいよね。ふっ。

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小さな幸せ

いいチョコを見つけた。

チョコは大好物なのだが、ちょっと食べると、すぐに顔や首の後ろにできものが・・・大いなる悩みだったが、偶然、コンビニで「チョコレート効果」というチョコを見つけて購入。
あれ? 吹き出物ができないゾ。

おまけにカカオ72%でポリフェノール1700mgなんて書いてある。

健康オタクのオレ様としては、好物のチョコがたくさん食えるうえに、身体にいいとなれば、まさに言うことなしだ。

カシス入りはパソコン作家・・・じゃなくて作業にいいのか。

ふふふ、秘かな幸福じゃ。

「ふふふ」(オレ)
「なに独りで笑ってんの、気持ち悪い」(K妻)
「このチョコだよ、これ、これ」
「そのチョコがどうしたの」
「ポリフェノールが1700mgも含まれていて身体にいいのだ」
「あなた、今、算数の本書いてるんでしょ?」
「それがどうした」
「単位に気を配ろう、という章がなかった?」
「あるよ」
「1700mgというと多そうに聞こえるけれど、グラムに変換してみたら?」
「・・・1.7gか・・・」
「それって多いの?」
「・・・」

算数本から「単位に気を配ろう」の章は削除するか・・・。

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念のため

発言を誤解されたくないので、強調しておきたい。

私は、自分の著書の中でアインシュタインに触れるとき、必ずといっていいほど原爆の悲劇について書くようにしている。

私は平和主義者である。

問題は、世の中に、平気で人を殺したり、戦争を引き起こす人が存在していて、そういった連中は、場合によっては核兵器も使うであろう、ということなのだ。
平和主義者である私は、その驚異を現実のものとして感じている。

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原子力

環境派で自然派の私がどうして原子力について積極的に発言するのかといえば、その理由は簡単だ。

もちろん、誰だって、原子力発電を全廃して、いまさら石油を燃やせとは言わないだろう。
水力発電もまたしかり。

エネルギー生産は、常に環境破壊をともなう。

***

そこで風力発電のような代替発電が持ち出されるのだが、私は、基本的に環境への影響の少ない代替発電には賛成だ。どんどん進めればいいと思う。
実際に、経済産業省も、そういう方策をとっている。

問題は、代替発電で原子力発電のぶんをまかなえるかどうかである。

現状では、それは不可能だし、十年後も不可能だと思う。

***

核融合の研究が遅々として進まなかったことが大きな誤算だったのかもしれない。
三十年前だったら、今ごろは核融合炉が稼働していると多くの人が予想していたはずなのに。

***

日本の原子力発電には二種類ある。
その意味は所轄官庁がちがう、という意味であり、稼働中の原子炉と実験炉という意味でもある。

高速増殖炉については、いろいろ勉強してみたが、アメリカやドイツが早々と開発を断念し、最終的にフランスがあきらめた時点で、よほど画期的なブレークスルーがないかぎり技術的に不可能だと私は判断した。

***

高木仁三郎さんの「原発事故はなぜくりかえすのか」は、以前、授業で使わせてもらったことがある。名著だと思う。

***

エネルギー問題は、経済と直結しており、経済は治安や戦争やテロと直結しており、日本の場合、そのエネルギーの3割を原子力が担っている。

しつこいようだが、私は環境派なのであり、たとえば、諌早湾の問題についても、「環境破壊」の愚鈍な判断だったと主張し続けている。また、その際の御用学者たちの醜い振るまいに怒りを覚えている。長崎県と農水省の見解は、言い訳以外の何者でもない。

そんな私が原子力「推進派」のように見えるので戸惑う人も多いのかもしれない。

エネルギー問題は、日本にとっては、死活問題であり、経済が破綻すれば、一歩まちがえば、大勢の人が死ぬ事態を招くことになる。

原子力の問題は、科学の側面、歴史の側面、技術の側面、経済や政治や「利権」の側面、そして安全性と環境の問題などから、広い視野で考える必要がある。

敵か味方か、というような二極思考では乗り切ることができない問題なのだ。

***

もちろん、原子力にはもう一種類ある。三番目の原子力、それは大量殺戮兵器としての原子力である。

将来、代替エネルギー技術にブレークスルーが起きて、原子力に頼らなくてもよくなったとしよう。

その場合、日本は原子力を全廃するであろうか。

私は、それはありえないと思う。

なぜなら、原子力発電の技術には、常に軍事転用の可能性が含まれているからだ。この点は、嘘をついてはいけないと思う。現在、世界各国で同じような問題が生じているではないか。

今現在、日本の周辺国では、韓国を除いて、全ての国がなんらかの形で核兵器を保有している。
そして、残念ながら、そういった国の多くが未来永劫、日本の友好国である可能性は高くない。

われわれは、周囲を厖大な数の核兵器で囲まれているのだ。

原子力の平和利用を考える際には、平和でない利用がどういうものなのかも視野に入れておく必要がある。

***

唯一の被爆国である日本は、今、真剣に原子力について考えるべき時期にきているように思う。

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いろいろな人たち

「ジャイアンツに対する愛情」か・・・もともと二年前に原をクビにしたのが不可解だったし、堀内がメチャクチャにしたファンの信頼を取り戻すのは、きわめて難しいだろう。なにしろ、オレなんか40年の巨人熱烈ファンをあっさりとやめてヤンキースの松井を応援してるんだから。ちなみに猫神隊長も同じ。

今日はまた鈴木光司さんと昼食をとったが、鈴木さんのお兄さんがやはりファンをやめたのだそうだ。

凄い数だと思う。裏切られて大リーグとかへ流れていったファンの数。

***

紀宮様と結婚する黒田くんは片方の目がいつもつり上がっているが、なぜだろう?
あのフフフン、という笑いが不気味でならない。
ちなみに、黒田くんのお母さんは、(前にも書いたが)ウチの母親の同級生なのだが、身分が高くなるせいか、同級生とは一切縁を切るのだそうで、みんなの顰蹙をかっている。(オーホッホッホ、みなさまのような一般庶民とは、もうお付き合いできないザマースってか?)同窓会の名簿からも削除してほしいのだそうだ。

***

てな調子で、どんどん悪口を書こうかと思ったが、他人の悪口を言うのは、あまりいいことではないので、ここらへんでやめておこう。

いつもテレビに向かって悪態をついていると、K妻が呆れ返っているのだ。

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ベルトクイズQ&Q

掲示板のお尋ねじゃが、わしが小学生のときに出場したのは、TBSのベルトクイズQ&Qの子供大会。
もっとも、待たされて、実際にテレビに出たのは中一になってからだったが。

勝ち抜いて大きな賞品をもらえるところまで辿り着いたが、そこで、「ナイチンゲール」をど忘れして、最後の最後で負けた。

あのとき、わしは、一生、二番手に甘んじなくてはいけない人生を予感して、傷心のあまり、隠遁生活に入ったのであった。(早っ)

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お知らせ

えーと、今日はお知らせばかりでスミマセン(汗)

「ループ量子重力理論」はおかげさまで重版になりました。応援ありがとうございます。
また、「次元の秘密」は付録に対称性の数学を追加して「増補版」になりました。

ココログにも小説など載せていますが、本屋さんで竹内本も買ってくださいね。
でないと、書き続けられないから。
そこんとこ、ヨロシク。

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予告

長編小説「鬼愛」は連載終了しました。
ほとんど理解されないであろう内容だったため、最後に、あえて「解説」を加えました。
ほんの少数のわかってくれた読者からのメールもいただきました。
ありがとうございます。

***

さて、近々、「シュレ猫探偵団 エッシャー館の惨劇」を集中連載いたします。
今度は隠れサイトではなく、ちゃんとリンクを張るようにしますので、ご安心ください。
エッシャーの絵の引用をアドレスですべきかどうか検討中にて、いましばらくお待ちください。

バーチャルな館は、私が1週間かけて描いたもので、ヴューワーをダウンロードすれば、中を歩く体験もできるはずです。
お楽しみに。
連載終了後、ココログで本にして、希望者に配布するつもりです。(忘年会で?)

後援会サイトは、現在、「シュレ猫ロジー」(湯川薫日記・編集版)の移行中です。もうしばらくかかると思います。移行が終わりましたらリンクを張ります。

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読み比べ御免!

予告どおり、カルチャーセンターの文章講座でやっている読み比べを掲載しよう。
最近、とみに新聞書評の影響力が落ちている。
新聞の書評欄でとりあげられても本の売上は数百部しか伸びないことさえある。
なぜだろう?

おそらくホンネの書評が少ないことと無関係ではあるまい。

ネットは玉石混交だが、少なくとも、本音で語ることができる。

で、オレの場合も同様で、とてもじゃないが読み比べなんて、印刷媒体では不可能なので、ここで書く。

なお、底本は、二年ばかり前のものでオレの本棚にある本なので、もしかしたら、その後、改訳されている可能性もある。その場合は、どうか、ご一報くだされ。この日記で訂正させていただきますでな。

***

さあ、行ってみようか!

***

例によって暇の本好きなので、『Yの悲劇』の原書と手に入りやすい翻訳5つを読み比べてみた。以下、オレの独断と偏見で4個所を抜き出して○×をつけてみた。

問題とした4個所:

1 NY市警の「Inspector」は組織図でみると非常に偉い人なので、「警視」と訳すのが妥当である。「警部」という翻訳は実情とかけ離れている。(ただし、日本語の語感から、あえて「警部」とすることも可能。)

2 「"Yes! Yes!..." "Sir," said the inspector. "Yes...sir.」という箇所は、警視と探偵がお手伝いさんを事情聴取している場面だ。オレだったら、「んだ、んだ!」「偉い探偵さんなんだ。もっと丁寧な言葉遣いができんのか?」「んだ・・・です」とでもやるがな。(やりすぎ(笑))とにかく、この「Sir」は「さん付けで話せ」という命令なのだ。決して警視が隣の探偵に呼びかけているのではない。

3 「"A novel in one sentence, Thumm." "Aw, stop, or I'll bust out crying," growled the Inspector.」は、自殺した人物の遺書を読んだ検死医が「サム、たった一行なのに小説みたいに感動させるな」と感想を述べると、サム警視が「おう、やめてくれよ、涙があふれ出しちまうぜ」と唸る場面。ここでサム警視が怒鳴る理由はない。だが、なぜか、ここを「怒鳴る」と訳してある本が多い。

4 「Bigelow」という弁護士が登場するのだが、発音は「ビゲロウ」である。なぜかといわれても、現地の人がそう発音する、としか言いようがない。ここを「バイジロウ」としてある訳書が多い。

 この4点以外にもいくらでも比較できるのだが、まあ、こんなところでしょう。で、この4点をクリアしているかどうかで○と×をつけてみた。その結果は、次のようになった。

             1  2  3  4 
集英社文庫(鎌田訳)   ○  ○  ○  ○ 
ハヤカワ文庫(宇野訳)  ○  ○  ×  ○
創元推理文庫(鮎川訳)  ×  ○  ×  ×
講談社文庫(平井訳)   ×  ○  ×  ×
新潮文庫(大久保訳)   ×  ×  ×  ×

 結論からいわせてもらうと、鎌田訳は、この中ではいちばん新しいだけあって、よく研究されており、オレは一個所も誤訳をみつけることができなかった。かなりの英語力をもった人が細かくチェックした可能性がある。(もちろん訳者本人が出来る人なのかもしれない!)

 平井訳は、二年前にもすでに絶版だった。この採点表だけ見ると、あまりいい訳でないようだが、オレは個人的に好きだ。日本語として、非常にこなれていて、捨て難いのである。できれば、平井訳の明らかな誤訳だけを誰かが摘んで、再販してもらいたい。名訳なのである。

 宇野訳と鮎川訳は、ともに高いレベルの訳であるが、現時点では、完璧といっていい鎌田訳が出ているので、どれを買おうか迷ったら鎌田訳をお勧めする。

 なお、大変残念だが、大久保訳は、誤訳箇所が多すぎて、まったくオススメできない。英文学の翻訳の第一人者の訳が、なぜ、こういうことになったのか不思議であるが、おそらく、忙しすぎて、下訳を誰か別の人にやってもらって、最後に御本人が目を通したのではあるまいか。そして、ミステリー小説ということで、結果的に手抜きになってしまったのではなかろうか。私も翻訳は下訳に手を入れるし、そうでないと多数の翻訳はこなせないし、それが悪いことだとも思わない。ただ、まちがった下訳に引っ張られて、本来ならまちがわない箇所に誤訳が残ることは、ままある。売れっ子の翻訳者が陥りやすい罠である。(もちろん、実際に、そういった経緯だったかどうかはわからないが・・・)
 この翻訳については、以前にも編集のAさんを通じて「改訳」の必要を申し入れたのだが、まあ、誰もオレのアドバイスになんか耳を傾けないんだよね。ふっ。

 鎌田訳の優位は崩れないが、おそらく、あまり売れていない。誰も翻訳の良し悪しなんてわからないし、わかっている人も黙して語らないからな。

***

 くどいようだが、この情報は、すでに改訳されていて古い可能性がある。各自、本屋さんで確かめていただきたい。
 また、オレはスーパーマンじゃないから、自分の翻訳にだって誤訳はあるぜ。なるべくなくすよう努力してるけどな。だから、別に翻訳者を責めているわけじゃない。単に本好きで暇だから読み比べをしているだけだ。そこんとこ、ヨロシク。

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原子力の日

11月7日に「ジュネーブ国際会議から50年」というシンポジウムがあり、パネリストで参加します。

http://www.jaero.or.jp/data/news/event/sympo/2005/

原子力の平和利用がテーマです。

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10月期

朝日カルチャーセンター10月期は、「ホーキングの宇宙」です。

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0510koza/A0301.html#

ふるってご参加ください。

英語講座のほうは、少人数で和気藹藹と「黒板で英作文」などもやっております。
こちらも10月から参加可能です。

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コト的世界観事始め

オレが生まれて初めて「コトテキセカイカン」とやらに出会ったのは、大学二年の哲学の授業だった。
当時、法学部進学をやめて教養学科の科学史科学哲学に進んだオレは、それまでの実務的な授業とは打って変わって、人類思想の深い茂みへと足を踏み入れた感じがしていた。

哲学者の大森荘蔵は、退官直前だった。
そこで、一番思い入れのある哲学書を講読することにしたらしい。
それがウィトゲンシュタインの「青本」だ。
この本は、もともとウィトゲンシュタインの英語での授業が元になっていて、原書も英語だが、非常に癖のある文章で(ようするに訛っていたわけだ!)読解不可能に思われた。

最初のうちはチンプンカンプンだったが、あるとき、オレの頭の中で何かが弾けた。
それが「コトテキセカイカン」との最初の出会いだった。

それから哲学者廣松渉のカッシーラの「象徴形式の哲学」の講読を取って、相対性理論の哲学なども読み始めて、急激に頭がコト化していった憶えがある。あのころのオレは、「世界の眺め方」が変わったことに、自分でも驚いていた時期だった。

世の中には、「哲学なんぞ何の役にたつ」と考えている人も多いが、生きているうちに、人類のさまざまな思考パターンを追体験することには、それなりのメリットがある。

もっとも、オレが学校で読まされた哲学書に欠けていたものが一つだけあった。
それは、人間の(論理ではなく)感情の問題だ。
そういった哲学書もあったんだろうけど、なぜか、オレは、ひたすら「理性の極限」みたいな本ばかり読むはめになり、しばらくの間、文学的な世界からは遠ざかっていた。

おそらくサルトルなんかは、感情面を重視した哲学者だと思うけれど、それゆえにアカデミックな世界からは二流扱いされていた感じがする。

***

NHK出版の「物質をめぐる冒険」はゲラを見ている。
かなり思想的な側面が表に出ているように思う。
ゲラを見ていて、ふと、学生時代を想い出しちゃったんだ。

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速読の女王

K妻は速読の名人だ。
オレが一冊読む間に四、五冊、いや、もしかしたら十冊は読んでしまうこともある。

やばいよなー、これってパソコンの処理速度と同じでアタマの回転数の差じゃないのか。

そういえば、以前、オレが書いた本の感想で「一日で一気に読みました! 次も期待しています」というメールを読者からもらって、愕然としたことがある。
その本を書くのには丸々六箇月かけたんだよ。他の仕事は一切せずに集中して。
オレが自分でゲラをチェックするのにも1週間かかったというのに・・・。一日で読んじゃったんだね。

本を書くのも読むのも遅いオレ様は、もしかして、馬鹿なのか? すべてがスローモーションになっているような気がする。いまの時代に全然マッチしていないぜ。

うーむ。

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騒音最前線

今住んでいる界隈は台風がくると川があふれたりして大変なところだが、京急の騒音もかなりのものだ。なにしろ、京急の高架から数メートルのところにいるわけだからな。

鎌倉のオレの部屋は、山奥の静寂に包まれていて、それこそ物音一つしない環境なのに、横浜のオレの部屋は、騒音公害の最前線にある。
だが、騒音というのは不思議なもので、当初は気が狂うかと思って耳栓をしていたのだが、いつのまにか気にならなくなった。馴れてしまったんだな。人間というのはオソロシイ。

だが、先月末に、京急がしきりに工事をしていたかと思ったら、ここ数日、我慢できないほど線路の擦れる音が大きくなった。どうやら、高架とカーブが組み合わさった目の前の「難所」を高速でかけぬけるための補強工事でもやっていたらしい。

さっきなんか、外にジョギングに出て、ストレッチをやっていたら、高架を電車がすれちがって、思わず騒音で飛び上がってしまった。
五分ほど走った地点で、まだ、「ゴー、キャー、ズゴゴゴー」という騒音が聞こえていたから、やはり、工事によって速度を落とさずにカーブに進入するようになり、音が酷くなったとしか思えない。

うーむ、数日中に改善されない場合、精神に悪い影響をきたすので、京急の広報課に工事の目的と真相を糺すしかないな。

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オレはボンボンか庶民派か?

K妻と結婚して以来、どうやらオレは名実ともに庶民派になりつつあるらしい。

まず、100円ショップに連れていかれて、「これも100円? あれも100円? ありえないよね・・・」とショックを受けたのに始まり、回転寿司も無事にデヴュー(「どうやって計算するんだろう、注文してもいいのかな、緊張するなー」)、さらには、ガストに入り浸りになり(「え? いくら飲んでも同じ値段なの? コーラ20杯飲んでもいいの?」)、とうとうブックオフで本を買うところまできた(「同じ本が105円か・・・やはり、こっちで買うことになるよな・・・複雑な心境」)。
近場なら飛行機もエコノミーを使うようになったし、新幹線もグリーン車はやめた。

オレの友人関係には、いわゆるエリートが多いのだが、彼らは、軒並みビジネスクラスとグリーン車で移動するし、黒塗りの車に乗っている奴もかなりいる。(彼らの多くは、自腹ではなく組織から金が出ているわけだが・・・)
ちなみに、黒塗りの車に乗っている奴にロクな奴はいない。(おまえ、「じゃ」とか言って、黒塗りの車に乗り込むんじゃねえよ!)

K妻によれば、あと、マンガ喫茶デヴューが待っているらしい。

かくて、K妻による竹内薫庶民派改造大作戦は、まだまだ続く。

(でも、一人で出歩くと、すぐ元に戻っちゃうんだ)

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ジョギング

裏横浜でブランチを食べていたら、K妻のご両親が買い物に来ているとのことで合流。

なぜか、わしもジョギング用のテニスシューズを買ってもらった。

帰宅後。

「座って休んだら億劫になるから、すぐに支度して」
「は?」
「せっかく靴を買ってもらったんだから、すぐに試してみる!」
「ちょっと休憩してからにしよう」
「問答無用」

家の前に遊歩道があるのじゃが、それをテクテク二人で歩き始めた。

「なんだよ、歩くだけかよ」
「そうよ」
「ジョギングするんじゃなかったのか?」(走る真似をしてみせる)
「これだから素人は怖いのよねー」

二十分後。ストレッチして、ただ歩いただけなのに汗だくになったオレは、いきなり走らなくてよかったなぁと思いながら、玄関を入ったところで倒れ込んだ。

(わしは体力ゼロだから、徐々にトレーニングをハードにしていくんだって・・・ふっ)

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新聞も

誤解のないように補足しておくが、オレは、テレビのタレント垂れ流し番組を減らして、もっと面白い力作を流すよう願っているのであって、インターネットがテレビを凌駕することを願っているわけではない。

そこんとこ、ヨロシク。

また、昨今の新聞離れもテレビと同じで、フリーペーパーとインターネットと携帯電話を情報源にしている人々の増加は無視できない流れになりつつある。

世間では、センサネットの潜在力が喧伝されているようだが、これから十年以内に、なんだか情報ネットワークの「相転移」が起きそうな気がしている。
液体が突如沸騰して気体になるような何かが。

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2011年、テレビの旅

2011年にアナログテレビが終わってすべてデジタルになるそうな。

以前、ホリエモンが「テレビはインターネットに道を譲る」というような発言をしたとき、フジテレビの会長さんが「絶対にそんなことはない」と断言していたのが印象的だった。

最近、オレはほとんどテレビを見ない。
どのチャンネルをつけても、毎日、相変わらず同じ顔ぶれのタレントたちが、あーでもない、こーでもない、と内輪の井戸端会議に明け暮れていて、しまいには、われわれがどういう行動をとるべきかについてまで「指導」してくれるので、たまらず、ケッ、と舌打ちをしてDVDの映画に切り替えたり、パソコンの画面でインターネットにつないだりしているのだ。

大リーグ中継やニュースや(一部の)ドラマは見るのだが、あとは、地球大自然系の番組くらいしか見ない。

だとしたら、そういった番組がインターネットTVで見られるようになれば、おそらく、地上デジタル放送もいらなくなるにちがいない。

つまり、オレというちっぽけな個人の行動パターンは、フジの会長ではなく、ホリエモンの予言通りになりつつある。

もちろん、これから先どうなるかはわからないし、民放も「タレント垂れ流し番組」を反省するかもしれないが、これだって、ようするに「既得権益」の問題にすぎないから、道路関係のファミリー企業がなくならないのと同様、民放各社に深く入り込んだタレント事務所の権益もテレビという媒体そのものが危うくならないかぎり消えることはないだろう。

オレは、もちろん、その既得権益こそが、テレビを滅ぼし、インターネットが取って代わると考えているのだが。

そして、もし、インターネットが、巨大化したテレビ放送を「呑み込む」としたら、その絶好のチャンスは2011年に来るわけだ。

家族の多い家庭は、ちゃんと機械を買って、地上デジタル放送に移行するだろうが、独りでアパートに棲んでいるような人たちは、どうするだろう。

2011年に、インターネットが、既存のテレビの中で「必須」とされている情報と同等のものを提供できるようになったら、インターネットの勝ちだ。

少なくとも、オレが高い機器を購入してまでテレビを見続けるとしたら、これからの6年間に、見て価値のある番組が増えるしかない。

タレント垂れ流し番組を減らして、もっと面白いドラマやニュースや動物番組なんかを増やしてほしい!

オレのような人間が、テレビからインターネットに乗り換えることがないように・・・。

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熱狂

真夜中なのにヤンキースとレッドソックスの試合を熱狂的に観戦中。

外では秋の虫の音のほかに線路の夜間工事の音や国道一号線のトラックの音も聞こえてくる。

あー、暇と金があったら大リーグの試合を観戦に行きたいものじゃ。

掲示板にKimballさんが書いていたが、どうやら、わしはスーパー監督タイプらしい。冷静に判断して行動せずに、とかく、のめり込みやすい性格だ。小腹が空いたので、さきほどから、チーズ、ポテトチップス、巨峰など食しておる。

やたっ! 松井のホームランじゃ!

インディアンズ負けろ!
赤靴下軍団など、滅びてしまえ!
ふわぁーっはっはっは!

不気味な笑い声が夜のしじまに鳴り響く・・・。←アホです(きっぱり)

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理科少年よ、科学史を学べ!

マクスウェルの「電気論の初歩」の前半の翻訳完了。
プリンターで印刷して最終チェックをしている。

なにせ1881年に出た本なので、言い回しなども古く、どこまで柔らかくしていいか悩んでしまった。
格調高さはそのままで、とにかく日本語で読んでわかるように翻訳するのが一番かな。
訳注はかなり入れた。

とにかく、マクスウェルの本を翻訳し終えて、やはり、
「大学の理学部では、専攻分野の古典を学ぶ科学史の授業が必須だ」
という長年のオレの主張がまちがっていない、と確信するにいたった。
古典でも内容は決して古くない。
そして、「動機」や「思想」がわかるから、電磁気に対して、目からウロコが落ちるような経験ができた。

科学の歴史も長い。
そろそろ、偉大な先達の「思想」を学び直して、その学問の神髄に触れるような教育を行なうべき時期だろう。

ま、この国の学校教育については、オレは半ばあきらめていて、こんな提案が採用される見込みもないんだけどね・・・。

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ブック・バトン

へぇ、こういうのがあるんですな。

不幸の手紙ならぬ幸福の手紙・・・でもないか。

ブログに愛読書とか挙げているので、わしは、質問の1と2にだけ答えてしんぜよう。

1. Book(s) reading right now.(いま読んでいる本)

2. The last book(s) I bought.(最近買った本)

3. Five novelists (or writer) I read a lot, or that mean a lot to me.(よく読む、または思い入れのある5人の作家または小説家)

4. Five books I read a lot , or that mean a lot to me.(よく読む、または思い入れのある5冊の本)

5. Five people to whom I'm passing a baton.(バトンを渡したい5人)

***

今読んでいるのは、

・「Holidays On Ice」DavidSedaris

・「妖精は子宮のなかで眠る」一井奈由他

で、最近買った本は、

・「ふくろうたちのひとりごと」

・「ニュートンの海」

・「暗号の数理」

・「皇帝ペンギン」

かな。

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更新情報

心象風景、写真を6葉追加しました。

引き続き、シュレ猫文章倶楽部では沙架さんの「ノーと言わせてくれ」を連載中。

シュレ猫後援会のコラムもブログに移行中です。現在、「ジャパニーズ・でっどそるじゃー」と「シュレ猫ロジー」(旧薫日記バックナンバー編集版)を順次移行しております。他のコンテンツも少しずつ移動させます。会員のみなさまにはご迷惑をおかけしますが、いましばらくお待ちください。コメントも受け付けますので。

「鬼愛」はエピローグを残すのみとなりました。
連載終了後、「シュレ猫探偵団」の掲載を始めます。
乞う御期待。

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