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星の王子さま

「星の王子さま」の比べ読みを終えた。
 よほど暇か、よほど好きじゃないと、こういうのはできないよ。

 冒頭で王子さまが飛行機乗りに話しかけるシーンだが、原書では「シルヴプレ」となっていて、英語に直訳すると「If you please」なんだけど、それこそ、子供が大人に時間を訊ねたり、道を訊いたりするときの「呼びかけ」なのだ。それが日本語のどんな言葉に対応するのかは、訳者が感じたニュアンスそのもの、ということになる。一昨日の日記に書いたが、もう、全然印象がちがってくる。
 こりゃあ、大変だ。
 翻訳というのは、だから、右から左へ対応する言葉を並べる単純作業ではない。翻訳とは、原作に準拠しつつ、訳者が心の中で感じたニュアンスを書き綴る作業なのである。つまり、読書や音楽鑑賞が「創造」であるのと同様、翻訳も(地味ではあるが)創造行為にほかならない。

 ひとつ感心したのは、三野訳だ。
 エンジンの故障のところを「僕のエンジンの中で、何かが壊れてしまったのだ」と訳してあり、あえて「飛行機」という言葉を補っていない。巻末の解説には、原書が「僕のエンジン」となっていることに意味があるかもしれず、「僕の魂の中で」と解釈することが可能だから、と、断り書きがついている。
 オレはサン=テグジュペリのものは手帖の類いにいたるまで読み尽くしているつもりだが、この点に関しては、完全に同意する。飛行機はサン=テグジュペリの分身であったし、その分身のエンジンが壊れてしまったんだから。

 そんなこんなで、楽しく比べ読みをさせてもらったが、オレの独断と偏見で感想をまとめてみよう。

・内藤訳……オレの中では、この親しんできた名訳の地位が揺らぐことはなかった。題名からして名訳中の名訳であり、「ぼっちゃん」という何気ない呼びかけの言葉まで、しっくりくるから不思議だ。これからも定訳として末長く残るだろう。

・三野訳……とても深い「読解」をともなった訳だと感じた。サン=テグジュペリの心の哀しさや苦しさといったものを感じ取るには、この訳を読むことが必要だ。その意味で歓迎すべき新訳となった。

・池澤訳……随所に工夫の跡がみられて好感をもって読めた。三野訳との差は、原書の表現にどれくらい忠実であるか、にある。小説家による翻訳は、創造の余地も大きく、意訳になるのが自然であり、そのほうがよい。

・小島訳……残念ながらオレの感性とは一致しなかった。訳者自身が詩人であり、サン=テグジュペリも詩人の感性をもった作家であったから、そういった魂のぶつかり合いのようなことが起きたのかもしれない。(小島訳のファンのみなさん、ごめんなさい。これはオレの感じ方でしかない。オレの中のサン=テグジュペリと小島さんの中のサン=テグジュペリが合わなかった、ということにすぎない。そして、小島さんは専門家であり、オレは一読者にすぎない)

 最後に、バラとの別れのシーンを比べてみよう。

・「そう、ぐずぐずなさるなんて、じれったいわ。もうよそへいくことにおきめになったんだから、いっておしまいなさい、さっさと!」(内藤訳)

・「そんなふうにぐずぐずしていてはだめよ。苛々してくるじゃないの。あなたは旅立つと決めたんでしょう。さあ行ってちょうだい」(三野訳)

・「そんなにぐずぐずしてないで。じれったくなるわ。出発することに決めたんでしょう。さっさと行っておしまいなさいよ」(小島訳)

・「気になるから、そこでぐずぐずしていないで。行くと決めたんでしょ」(池澤訳)

 いかがだろう? まだ内藤訳を読んでいなかった人は、まず、この不朽の名訳を読むべきである。そして、どの新訳を読むのかは、もう、自分の感性と相談して決める以外にない。でも、案外、オレみたく、全部読んじゃう人も多いかもしれないね!

(次回は、カルチャーセンターでやった文章講座の「Yの悲劇」の比べ読みについても訳者名を出して堂々と書こうかな?)

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