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2005年9月の50件の投稿

時事雑感2

前の日記から何度も書いていることだが、オレは小泉さんのキャラが好きだ。
だが、政権初期の経済政策では、デフレに落ち込んで、大勢の自殺者を生んだことも事実だと思う。

好きな人の行動に疑問符がつくのは、見ていて辛いものがある。

靖国神社の公式参拝も同じような問題の一つだった。

オレは大学に入ったときに文一というところにいて、それは法学部進学課程だったわけで、同じクラスの同級生は、ほとんど法学部に進んだ。(実際は、法学と経済学の合併クラスだったので、残りの半数は経済学部に進んだ)
そのわりには憲法を勉強してこなかったのだが、ここにきて、少しは本など読んで自分なりに考えてみたんだ。

もともと信教の自由が保証されている以上、たとえば小泉さんが個人の信条として靖国神社を参拝することになんの問題もない。だが、総理大臣の立場で公式参拝するとなれば、とたんに話は微妙になる。政教分離の原則に反するからだ。
もちろん、法律には「解釈」がつきものだし、それこそ警察が逮捕するかどうかは現場の「運用」になるのだし、ようするに社会とともに「生きている」んだから、社民党のように条文を引用して「違憲だ、違憲だ」と騒いでみても虚しいだけだ。

個人的にはオレはカトリックだし、小泉さんが、公式ではなく個人で参拝してくれれば、なんの問題もないと考える。
戦争で犠牲になった方々の追悼のための施設もつくるべきだと思う。
この点、宗教はちがっても公明党の言っていることと意見は同じだ。

ところで、オレは母親がカトリックで幼児洗礼とやらを受けさせられて今日に至っているのだが、隊長は日蓮宗だし、母方の曽祖母が亡くなったときは高野山に納骨に行った憶えがあるから、さまざまな宗教の環境が入り交じっている。

靖国神社に参拝したこともあるよ。

心の問題は、個人的なものだから、個人の資格で淡々と行動すればいいように思う。

小泉さんには、高等裁判所の判決を重く受け止めてもらいたい。
淡々と受け止めてくれたら、オレは、もっと小泉さんという人間に惚れるけどな。

注:「隊長」=バックナンバーの基本用語を参照。

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時事雑感1

阪神タイガースの優勝おめでとうございます。

オレの周囲にも阪神ファンは多い。

たとえば(お華の)利Q師匠なんか熱狂的な阪神ファンだよね。

阪神といえば、例の村上ファンドが話題になっているが、個人的にああいう人は好きじゃない。

一所懸命にモノを作っているような人とか、人を感動させてくれる人、ようするにいい汗かいてる人は好きだけど、マネーゲームの人たちは、他人の褌で相撲とってるような感じがして嫌だ。

良し悪しの問題じゃない。好き嫌いの問題だ。

いずれにせよ、自分の褌で相撲とる人が減れば、国は滅ぶと思うよ。

おっと、ファンドの話なんかどうでもいいんだ。

オレの目下の関心は「ファン心理」にある。

以前、茂木健一郎が、酒を呑みながら、

「ボクは野球そのものが好きだから、依怙贔屓せずに観戦する。いいゲームを観たいんだ」

と言っていて、オレは、

「そんなのありえないだろう。野球ファンテェやつは、相手の選手に砂で目潰しくらわせようが、審判の目を欺こうが、とにかく贔屓のチームが勝てばいいんだよ。一心同体だからな」

と反論したことがあった。(細かい言い回しは不正確です。念のため)

さすがに観客がレーザー光線で敵のピッチャーの目を痛めちゃうのはマズイと思うが、基本的に、相手のミスに拍手喝采するなんて普通だと思っていた。

ところが、先日、シュレ猫文章倶楽部で酒を呑んでいたら、マル太さんが茂木と同じようなことを言っていて驚いた。

うーん、ありえないとばかり思っていたが、もしかしたら、アリなのか?

つまり、オレのようなタイプは、(昨夜逮捕された虎ファンに近く)一人称で感情移入して野球を観ているのに対して、茂木やマル太さんは、三人称で観戦しているんだな。

一人称の人間には、三人称で野球を観る、ということ自体が信じられないが、もしかしたら、「好き」にもいろいろあるのかもしれない。

それでも、「熱狂的なファン」ということと「三人称」ということが両立するかどうか微妙だと思うなぁ。

***

誰か一人の人間だけを熱愛することと、数名の人を熱愛することと、人類全体を熱愛することが、すべて同じように可能なのだろうか・・・そう考えてみれば、たしかに、偉大な宗教者のような人もいるよな。

うーん、つまり、オレは、広く愛情を注げないタイプにすぎないのか。

だからオレの作品は一般受けしないのかもしれないな。

うーむ。

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体調不良といえば、左の踵だけでなく、左の掌を刃物で切ることが多い。
前なんか、滅多にしないのに、まな板の上で何かを切ろうとして、上から包丁をあてて左の掌で押したら、刃が逆向きになっていた!(うぎゃう)

それでさ、生命線や金銭運の線が伸びたら、後天的に幸運が舞い込んでくることになるのか?
手相の専門家がいたら教えてもらいたいものだ。

***

オレは怒りの感情を宥めることができるほど悟りをひらいていないので、怒ると歯をギリギリさせてしまう。
具体的には両方の牙(=「犬歯」)を下の歯と合わせてギリギリやって、怒りを鎮める癖がある。
で、数年前に、猫神隊長が連続的に事件を起こしていたときに、右の牙がポキッと折れた。

だから、今のオレは、半分牙なしだ。

ここのところ、気がつくと残っている左の牙をギリギリやっている。
うーむ、折れるよな、そのうち。

***

牙といえば、業界の友人がほとんどいないオレは、やっぱり一匹狼なんだろうな。
好きでやってるわけじゃないけれど、人格的に、師弟関係や軍団関係で緊密な人間関係のネットワークを形成するタイプじゃない。

社会のネットワークに緊密に組み込まれていない・・・というか入れないんだよ。すぐに人見知りするからダメなんだろう。

シュレ猫文章倶楽部から大勢デヴューしてもらって、なんとか、この業界一匹狼状態から抜け出したいものだ。

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ヨシムラ対ホンダ

プロジェクトXでバイクのヨシムラのエピソードを観た。(再放送?)

で、いくら考えても理解できない点が一つ。

本田宗一郎が部下を集めて怒鳴ったということと、契約を打ち切ったということが、オレの頭では、いくら考えても筋が通らないのだが・・・。
ヨシムラに部品を出さないのは、ある種の嫌がらせなのか、それとも、技術を盗まれると思ったのか、その逆で、もう技術を吸い上げちゃったからお払い箱ということだったのか。

で、このままだと、オレの頭の中では、ようするに本田宗一郎という人は、ヨシムラには「わかった」と言っておきながら、実は、部下には「ヨシムラを切れ」と言っていたことになって、悪い人だった、という結論になってしまうのだ。

テレビを観ていた、ほかの人もそう思ったのではあるまいか。ぶっちゃけ話。

でも、神様が悪い人だった、というのはまずいので、部下を怒鳴ったり、「ヨシムラを見習え」という言葉を付け加えたのかしら。

うーむ、よくわからん。この番組を観た人で、オレの勘違い(?)の原因がわかった人は、是非、教えてください。

やっぱ、風邪だから頭がはたらかんのかなぁ。もう寝よ。

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朝カル、1月期

朝日カルチャーセンターの担当のJさんと相談して、1月期は、

・シュレディンガーの猫って何?

・マクスウェルの悪魔って何?

・ベルの定理って何?

てな具合に、有名物理学者の名前のついた概念を一回ごとに解説する講座をやることにした。リクエストがあったら送ってください。

***

うーん、季節の変わり目のせいか、風邪気味でダウンだよ・・・。

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雑談

朝日カルチャーセンターの来季は「解析力学から量子力学へ」と銘打って、ハミルトニアンやなにやらの話から量子化の話、さらにはヒルベルト空間の話なんぞ、やろうか・・・それとも、まったく趣向を変えて、小中の理科レベルの授業にしようか・・・迷っている!

うーむ。
どちらも捨て難い。

***

昨日の会食の話だが、鈴木光司さんと奥様は小学校からずっと一緒だったそうで、そういえば、オレの同級生で東大の先生をやっている廣野くんも奥様が幼稚園から一緒だったよなぁ。
幼なじみと幸せな結婚生活を送っている人って、意外と多いのかな。
やはり、お互いの考えていることとかが完全にわかるのだろうか。

鈴木さんも奥様も酒豪(失礼!)なので驚いた。
オレは、帰りの電車が横浜についたとき、K妻に手を引っ張られて降りたが、「なんで川崎で降りるんだろう。ここから鈍行でいくのか?」などと考えていた。完全な酔っ払い(笑)

こうやって世のお父さんたちは乗り過ごすんだねぇ。

***

今日はいきなりジャンクメールが数倍に増えてギョッとした。
いったい、なんだろうね。

***

更新情報:シュレ猫文章倶楽部「ノーと言わせてくれ」の続きと「鬼愛」の第六章をアップしました。「ハッピー薫絵」と「心象風景」は準備中。

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カラスじゃない

鈴木光司夫妻と品川のお寿司屋さんで会食。

K妻は、出かけるときから「寒い」を連発していて、長袖に着替えて出たが、やはり寒かったらしい。

いろいろな話で盛り上がったが、鈴木光司さんは、明日、爆笑問題と「対決」するらしく、その戦略なども話し合った。まあ、太田のはぐらかし作戦を逆手に取ることができれば勝てるような気がする。
もっともオレのアドバイスなんか必要ないよね。

あっという間に時間が過ぎて、免疫がアップした。プチ鬱解消か。

***

ウチに戻ると猫たちが暗闇で目を光らせて待っていた。

「貴様ら、今、帰ったゾ」(少佐)
「・・・」(軍曹)←いきなり逃げ回る
「なんだ、なんだ、なぜ、オレの顔を見て逃げるのだ。失敬な!」
「・・・」(伍長)←無関心
「貴様はオレを無視するのか!」
「カラスね」(K妻)
「は?」
「あなたが着ているジャケットが黒いから、黒くて大きな生き物を回避する本能じゃないの?」
「つまり、オレを少佐ではなくカラスと認識しているというのか」
「それしかないでしょうねぇ」

てゆーか、カラスじゃなくて、せめて、鷹くらいに認識しろよ・・・ったく。

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ふれあい

伍長(=猫の虎太郎)がベッドで大の字になって寝そべっている。少佐(=オレ)はキャトウォークできゃつの背後から忍び寄る。

「伍長! また、歩哨をサボッて寝ておるのか!」(少佐)
「・・・」(伍長)
「あん? 寝ぼけておるのか」←と言いつつ、身体を密着させる
「にゃ」
「そうか、そうか、嬉しいのか」
「ちがうんじゃない?」(K妻)
「どうして」
「あたしには、やめてくれ、と言ってるように聞こえるわ」
「ちがうだろ。猫語はオレのほうが得意だ」←と言いつつ、伍長の腹をなでる
「にゃ」
「ほら、みろ、やはり喜んでおる」
「あたしには、腹を触るな、って怒ってるように聞こえるんだけど」
「にゃ!」←と言いつつ、伍長がオレの手に咬み付く
「ほら、みなさい、咬み付かれたじゃない」
「あん? 甘咬みだろ、これ。やはり愛情表現じゃないか」
「処置なし」←K妻退散

どうやら、わが家では、K妻は猫語を解さず、オレのほうがよく理解しているようである。

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更新情報

「鬼愛」、第五章まで掲載しました。いろいろな意味で、ぎりぎりの小説なので、読めないと感じたら、最後まで読まないほうがいいと思います。念のため。

「旅の風景」は「心象風景」と題名を変えて新しく数葉追加しました。

写真ってェやつは、実に不思議なものでして、いつのまにやら、風景と心象が二重写しになってやがる。
秋空が哀しく見えるのは、空のせいじゃないのかもしれない。
古モンレアルの秋空は、ひたすら高く突き抜けて、人間の哀しさや苦しみをそのまま吸い込んでしまう気がした。

オレの写真は決して巧くないが、まあ、見てやってください。

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星の王子さま

「星の王子さま」の比べ読みを終えた。

 よほど暇か、よほど好きじゃないと、こういうのはできないよ。

 冒頭で王子さまが飛行機乗りに話しかけるシーンだが、原書では「シルヴプレ」となっていて、英語に直訳すると「If you please」なんだけど、それこそ、子供が大人に時間を訊ねたり、道を訊いたりするときの「呼びかけ」なのだ。それが日本語のどんな言葉に対応するのかは、訳者が感じたニュアンスそのもの、ということになる。一昨日の日記に書いたが、もう、全然印象がちがってくる。

 こりゃあ、大変だ。

 翻訳というのは、だから、右から左へ対応する言葉を並べる単純作業ではない。翻訳とは、原作に準拠しつつ、訳者が心の中で感じたニュアンスを書き綴る作業なのである。つまり、読書や音楽鑑賞が「創造」であるのと同様、翻訳も(地味ではあるが)創造行為にほかならない。

 ひとつ感心したのは、三野訳だ。

 エンジンの故障のところを「僕のエンジンの中で、何かが壊れてしまったのだ」と訳してあり、あえて「飛行機」という言葉を補っていない。巻末の解説には、原書が「僕のエンジン」となっていることに意味があるかもしれず、「僕の魂の中で」と解釈することが可能だから、と、断り書きがついている。

 オレはサン=テグジュペリのものは手帖の類いにいたるまで読み尽くしているつもりだが、この点に関しては、完全に同意する。飛行機はサン=テグジュペリの分身であったし、その分身のエンジンが壊れてしまったんだから。

 そんなこんなで、楽しく比べ読みをさせてもらったが、オレの独断と偏見で感想をまとめてみよう。

・内藤訳……オレの中では、この親しんできた名訳の地位が揺らぐことはなかった。題名からして名訳中の名訳であり、「ぼっちゃん」という何気ない呼びかけの言葉まで、しっくりくるから不思議だ。これからも定訳として末長く残るだろう。

・三野訳……とても深い「読解」をともなった訳だと感じた。サン=テグジュペリの心の哀しさや苦しさといったものを感じ取るには、この訳を読むことが必要だ。その意味で歓迎すべき新訳となった。

・池澤訳……随所に工夫の跡がみられて好感をもって読めた。三野訳との差は、原書の表現にどれくらい忠実であるか、にある。小説家による翻訳は、創造の余地も大きく、意訳になるのが自然であり、そのほうがよい。

・小島訳……残念ながらオレの感性とは一致しなかった。訳者自身が詩人であり、サン=テグジュペリも詩人の感性をもった作家であったから、そういった魂のぶつかり合いのようなことが起きたのかもしれない。(小島訳のファンのみなさん、ごめんなさい。これはオレの感じ方でしかない。オレの中のサン=テグジュペリと小島さんの中のサン=テグジュペリが合わなかった、ということにすぎない。そして、小島さんは専門家であり、オレは一読者にすぎない)

 最後に、バラとの別れのシーンを比べてみよう。

・「そう、ぐずぐずなさるなんて、じれったいわ。もうよそへいくことにおきめになったんだから、いっておしまいなさい、さっさと!」(内藤訳)

・「そんなふうにぐずぐずしていてはだめよ。苛々してくるじゃないの。あなたは旅立つと決めたんでしょう。さあ行ってちょうだい」(三野訳)

・「そんなにぐずぐずしてないで。じれったくなるわ。出発することに決めたんでしょう。さっさと行っておしまいなさいよ」(小島訳)

・「気になるから、そこでぐずぐずしていないで。行くと決めたんでしょ」(池澤訳)

 いかがだろう? まだ内藤訳を読んでいなかった人は、まず、この不朽の名訳を読むべきである。そして、どの新訳を読むのかは、もう、自分の感性と相談して決める以外にない。でも、案外、オレみたく、全部読んじゃう人も多いかもしれないね!

(次回は、カルチャーセンターでやった文章講座の「Yの悲劇」の比べ読みについても訳者名を出して堂々と書こうかな?)

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裏稼業

作家稼業などというと、好きなときに好きな仕事をやっているように見えるかもしれないが、実情は、宮仕えとさほど変わらない。

威張る部長のいる嫌な会議に出ることとか、嫌な会社に頭を下げて廻るとか、オレだってしょっちゅうやってる。

必殺仕掛け人と同じ(?)で、世の中には、たいていの場合、表の稼業と裏の稼業がある。

本日は裏稼業の仕事だ。

いつも気が重く、たまに「なんで、こんなことをしなくてはいけないのか」と、涙が出ることもあるが、人間の家族と猫の家族の顔を次々と思い浮かべ、徐々に気力を貯めていって、現場では常に笑顔で元気よくふるまうのだ。

なにせ、裏稼業なしでは、生計をまかなうことはできないからな。

つまり、作家だって、会社勤めの人と同じことやってんだよ。

ちなみに、裏稼業は名前も出ないが、ちゃんと税金はとられる。

***

うーん、この日記、たまに(あるいは、いつも)オレの心理セラピーみたくなってるけど、読んでくれてる人、大丈夫ですか?

あなたが読んでくれると、オレは、セラピー効果で元気が出るんだけど(微笑)

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楽天ショック

ここのところ毒舌・放言がなかったが、そろそろ爆発かな?

楽天の田尾監督解任については、非常にがっかりさせられた。

すでにプロ野球離れの最先端にいるオレとしては、この際、「もう消えてしまえ」と捨て台詞を吐いて、日本の野球からは完全に足を洗うつもりだ。

以前、ジャイアンツの原監督が二年目で解任されたときに、最初のプロ野球離れを始めたオレだが、ようするに、オーナーとフロントに対する「疑問符」がでてきたら、すべてがつまらなくなっちゃうんだよ。けっ。

楽天については、あの選手レベルで、勝てというほうが無理なわけで、オーナーもフロントも、最初から奇跡を期待していたとしか思えない。

監督の責任を問うのであれば、ちゃんとした選手を用意したうえで、監督自身の采配を見るべきだ。

それから、オーナーは続投を考えていたが、フロントが反対した、というのは、オレから見ていると、オーナーの責任逃れにすぎず、とても嫌な気持ちになった。社会的に責任ある立場の人が吐く言葉じゃない。

戦力が用意できなかったら、責任をとるのは、フロントのジェネラルマネージャーであるべきで、まったくの筋違いだ。

クビにするなら、はっきり、「オーナーである私がクビにしました」と言えよ。フロントのせいにするなんて最低だ。

(注:これだと選手を馬鹿にしていると思われかねないが、選手の解雇のときも頭に来たんだ。逆境でがんばっている人の姿を見るとファンは応援したくなる。勝ち負け以上の何かを感じるからさ)

***

ま、いつものように、オレは日本という国のメジャーな意見を代弁などしていないし、むしろ逆行しているんだから、この問題もすぐに野村フィーバーにでもとって代わられて、楽天は引き続き金儲けに邁進し、オレの腹立ちのみが幽霊のごとく宙を彷徨うのだ。ふっ。

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日曜も仕事だ!

K妻のお父さんが横浜来訪。

なにやら二人で画策しておる。新品のエレッセのテニスウェアにフィラのシューズだ。なにをするつもりかと思いきや、川岸を二人でジョギングだと!

「なんだ、なんだ、親子でジョギングか? オレは誘わないのか?」(オレ)

「え? だって、もう何箇月もジョギングやる、って口ばかりで、一向に始めないじゃない」(K妻)

「それにしても二人だけで抜け駆けみたいじゃんかよー」←眉間に皺

着替えを終えたお父さんが居間に入ってくる。

「じゃあ、ちょっと行ってきますよ」(お父さん)

「あ、気をつけていってらっしゃいませー」←ニコニコ笑顔のボーイ風

ふ、オレも出過ぎた腹を引っ込めるためにジョギングやろうかな・・・。

***

小説「鬼愛」は、長編純文学なのに、とんでもない検索キーワードで飛んでくる人がいて驚かされた。ココログの検索でアダルト系のキーワード(身体の部位)で引っかかるらしい(汗)

うーむ。

***

楽天の田尾監督はいい雰囲気だったが、次はオレの大嫌いな野村かよ。けっ、勝手にしやがれ。

ますます日本の野球から離れられそうで嬉しいぜ。

あーあ、オレの英雄だった長嶋さんは、もう無理だよなー。

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更新情況

続続・ハッピー薫絵、アップしました。
実は、他にも「オレンジのゾウ」とかあるんだけど、どうするか考え中。あまり調子に乗ってもな・・・。
少しは他人の迷惑も考えないと。

長編小説は第四章までアップ。

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読み比べ

書評のための本を買いに近くの本屋さんへ。

M善には科学書はおいてないので、ビルの五階にあるU堂へ行った。
ここはがんばっているが、徐々に専門的な本が姿を消しているので、そのうち、また別の立ち回り先を探さねばなるまい。
専門書はたくさんは売れないかもしれないが、それがあるために「雰囲気」が醸し出され、自然と足が向くようになる。
隠れた効果というやつだ。
それで、一般書を買うわけだな、オレのような人間が。

実際、「星の王子さま」の新訳がたくさん並んでいたので、思わず立ち止まって・・・全部、買っちゃったよ。

「それ、全部、買うの」(K妻)
「ああ」(オレ)
「ああって、もうウチの本棚にあるじゃない」
「いいか、あれは内藤訳で、これらは新訳なのだ。三野訳、小島訳、池澤訳、それぞれに個性がある」
「みんな同じ題名じゃない」

そうなのだ。もちろん、原題は「小さな王子」なのであり、「星の王子さま」というのは内藤濯(←ちょっと字がちがうかも)の名訳なのだ。
新訳の訳者たちは、かなりのジレンマに陥ったことであろう。
なにしろ、定番の名訳があるのに、ちがった個性の新訳を出さなければいけないのだ。
本当は邦題も変えたかったにちがいない。

まだ読み比べを始めたばかりなのだが、たしかにヴァリエーションが楽しめる。こんな具合に。

・六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。(内藤訳)
・六歳のとき、『体験した話』という原始林についての本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。(小島訳)
・六歳のとき、僕はすばらしい挿絵を一度見たことがある。それは『ほんとうにあった話』という題名の、原生林について書かれた本の中にあった。(三野訳)
・6歳の時、原始林のことを書いた『ほんとうの物語』という本の中で、ぼくはすばらしい絵に出会った。(池澤訳)

・「ね……ヒツジの絵をかいて!」「え?」「ヒツジの絵をかいて……」(内藤訳)
・「ぼくに……おとなしい羊を描いて!」「え?」「おとなしい羊を描いて……」(小島訳)
・「お願いです……ぼくにヒツジの絵をかいて!」「なんだって!」「ヒツジの絵をかいて……」(三野訳)
・「すみません、ヒツジの絵を描いて」「え、なに?」「ヒツジの絵を描いて」(池澤訳)

うーむ、こんなふうに読み比べているオレはビョーキか。(全部読んでから、また感想を書きます)

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リンク

読者のみなさまへ、

長編ブログのリンクのお問い合わせが何件もありましたので・・・。

今回の作品は、人間の性と死、そして精神的な苦悩の問題が主題となっており、薫日記のユーモア調とは正反対のトーンをもっています。ですから、コミカルなものを予期される読者には、ショッキングな内容を含んでいるといわざるをえません。

それに対して、次回作は、シュレ猫探偵団のミステリーですので、エンタテイメント性が高いものとなっています。

ですから、深刻でショッキングなものよりエンタテイメント系をお望みの方は、しばらくお待ちいただいて、シュレ猫ミステリーをお読みください。

それでも、あえて、今回の作品をご覧になりたい方は、もちろん、個別にリンクをお教えいたします。
ただ、リンクを貼っていないことには、それなりの意味がある点は、どうか、ご理解をたまわりたく。

竹内薫

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長編開始

長編ブログの連載を始めた。現在、第二章。終章まで行ったら削除するつもり。

強い興味のある読者は探してみてください。

あえて、リンクは貼りませんので。(シュレ猫文章倶楽部からも本サイトからも行かれません)

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戦国大名と同じ

茂木健一郎が日記にポジティブとネガティブの話を書いているが、あの分析は正しいと思う。

以前、広告代理店向けにフリーでプログラムを書いていたことがあって、そのとき「タレント・CM・好感度調査」というのに遭遇した。そのとき、人気タレントは、ほぼ例外なしに「好き」と「嫌い」の割合が同じだったのだ。人気のないタレントの場合は、「好き」が勝っていたような気がする。(人気がなくて「嫌い」が勝るとタレントをやっていられなくなる!)

そういった人気タレントは知名度が例外なしに高かった。

つまり、茂木が言っているように、知名度アップと好感度のバランスとは密接に関係している。それは、おそらく社会学的な事実だ。

で、なぜ、オレがネットのネガティブ批評に神経を尖らすかといえば、むろん、オレの知名度が微妙なレベルにあるからだよ(笑)

つまり、あるレベルを突破してしまえば、「週刊誌に悪口を書かれる」ことは、決してマイナスではない。それにより、ますます知名度がアップして、結果的によくなることのほうが多いからだ。
だが、知名度が高くもなく低くもないような境界線上の人間の場合、やはり、「嫌い」な人が三人くらい、「あんな本買うな」といえば、それは、直接売上に響くことになる。

最近、茂木は完全に知名度がアップして「安全圏」に入ったが、オレの場合は、いまだ境界線上だから、「評判」ですぐに売上に影響が出ちゃうんだよ。

出版部数でいえば、おそらく、一万石と五万石の間のどこかに境界線が存在する。
むかしの戦国大名を思い浮かべてみてくれ。

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長編

書きためていた長編をブログに載せることにした。

一つは、おそらく書かないと死ぬと思ったので書いた。自動筆記みたいなものだ。出版に適しているかどうかわからないし、そもそも読みたい人がいるかどうかも疑問なのでこういう形に。これは私と瑞樹の共作である。

もう一つは注文を受けて書いたものだが、社長が死んで、突然、出版社の方針が変わったために、一転、お蔵入りになった作品。

つまり、この二本は、もはや、お金と関係ない。

こういう時代だから、こういう形もあっていいかと思う。

本屋さんで見るオレの科学書とはまったくちがった感じの作品だ。

順次、掲載する予定。また、いつ打ち切るかもしれない。リンクも貼らない。(つくづく変人だよな、オレって)

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プチ鬱

「なにしてるの?」(K妻)
「あん? 別に」(オレ)
「その手紙の束、まだ答えていない質問でしょ?」
「ちがう」
「どうちがうの」
「質問には全部答えた」
「あたし、手紙出してないわよ」
「うっ・・・じ、自分で宛名書きしたんだよ」
「うそ」
「なあ・・・これ以上、オレを追い詰めないでくれ!」←頭を抱えてしゃがみこむ
「大袈裟ねぇ」
「この何十通もの手紙の束が、四六時中、目の前にあることにより、オレの精神は、真綿で首を絞められるがごとく弱体化してゆくのだ」
「メールの質問には平気で答えてるじゃない」
「いいか、これはトラウマの問題なのだ」
「トラウマ?」
「そうだ、封書で五項目以上の質問を送ってきた人に返信したら、さらに十項目の新しい質問が送られてきた・・・あるいは、送られてきた独自説の論文の難点を指摘したら、ほとんどの場合、相手は激怒したし、そういうやりとりの直後にアマゾンの書評荒しがあらわれたり、迷惑メールがドッと増えた気がするのだ」
「つまり、特定のパターンの質問に返信すると、よからぬことが起きると思い込んでるわけね」
「とにかく、この未返信ファイルを目に見えないところに隠さないと、オレのプチ鬱が酷くなるのだ」
「じゃあ、いっそのこと捨てちゃえばいいじゃない」
「いいか、オレは、おまえとちがって、真面目で責任感が強い人間なのだ。だから、責任を放棄するようなことをすれば、良心の呵責に耐えられなっちゃうんだよ」
「ふー、無責任な性格で悪うございました」←アッカンベーをする
「・・・」
「あたし、ちょっと買い物に出てくるわ」←バタンと扉が閉まる

なぜだ、なぜ、こうなる。いったい、オレが何をしたというのだ! 誰か教えてくれ!
オレは、ふたたび、肩を落としながら、未返信ファイルの山を元の場所に戻したのだった。
プチ鬱状態は続く。

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ジャンル思考

オレが自分の本にいろいろな要素を混ぜると、みんなから文句をいわれるのだが、これは、もちろん壮大な戦いの一環なのだ。(それ自体、妄想化しつつあるが)

物象化の最たるものに「ジャンル思考」がある。
区分けが固定された頭に明日はない。
だから、誰かが常に「打ち出の小槌(こづち)」をふるって壊して歩かないとダメなのだ。

で、オレは人の頭をいつも叩いて廻っているわけ。

まあ、文句をいわれたり、思わぬ反撃をくらうわな。

しかし、正義の鉄槌は下さなければならぬ。それがオレの使命だ。

***

小説の中に小難しい(?)科学解説を入れたり、逆に科学書の中にショートショートを入れたり、あるいは、翻訳書を訳注まみれにしてみたり、人によっては、そういうオレの行為を「神聖な××に対する冒涜(ぼうとく)」ととらえ、異端審問を始めようとするらしい。

これまで何度か十字架に磔(はりつけ)にされたがな。

オレは精神が繊細だが、強靱でもあるので、すぐに復活する。(それは、ハッピー薫絵をご覧いただければ一目瞭然だろう。あの繊細なタッチと強靱な筆はこびは、すなわちオレの精神構造そのものなのだ)←ここらへんでK妻が頭を振り始める

***

「なあ、軍曹、生き物にだってジャンルは無用だよな」(少佐)
「にゃ」(軍曹)
「伍長、おまえとオレの友情は種の区分けを超えておるよな」
「にゃ」(伍長)
「いかん! 五つ足のエイリアンが近づいてくる! みんな、退避せよ。ここはオレが死守する! うがー、ぶぶぶぶ」←少佐の顔に実際に五つ足の幼生エイリアンがへばりつき、死闘が始まる

「あなた、電話よ」(K妻)
「ぶぶぶぶぶ、今は、それどころじゃない! この情況がわからんのか!」
「よーく、わかってますよー。あなたが御自分の左手で御自分の顔を覆って、ひとりで足をバタバタさせている、という客観的な情況が」
「ふ、イマジネーションのないやつめ・・・誰からの電話だ」

電話の後。

「はい、これ食べてみて」(K妻)
「なんだ、これは」(オレ)
「猫のご飯よ。猫も人間も分け隔てないんでしょ? それなら、猫のご飯も食べてみて」
「・・・」
「さあ、さあ、どうしたんですかー?」
「うぉー!」←ジャンル思考の罠にはまって磔になった瞬間

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黄金シリーズ

ここのところ身体の異常が多くて困る。

かなり前に左の奥歯が「もろけた」ときはショックだった。
たしか東京駅から横須賀線に乗って、新橋を過ぎたあたりで、好物のアーモンドをかりっとやったときに、めりっといったのだった。
一瞬なにが起きたかわからなかったが、すぐに、口の中にアーモンドの硬度に負けて粉々になった奥歯の残骸があることに気づき、吐き出すべきか呑み込むべきか考えてしまった。(もちろん上品に吐き出したがな)

最近、仕事で外に出ているときも、家にいるときも、左足の踵(かかと)に鈍痛がはしって難儀している。

「骨折かもしれん」(オレ)
「骨折してたら歩けないでしょう」(K妻)
「疲労骨折というのもあるだろう」
「ほとんど歩かないくせに疲労骨折なんかするの」
「オレの身体はデリケートだからな」
「・・・」
「気づかないうちに骨にヒビが入っている可能性だってある。なにしろ、世の中には、腕を一本もっていかれて気づかなかったトラック運転手だっているんだからな」
「テレビで見たわ」
「うう、オレの黄金の左足が」
「お、黄金・・・」
「これで、オレの選手生命も終わりだ!」←頭を抱えてひっくり返る
「始まったわね、いつものパターン」

妄想は作家の母。

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経路選択の問題

 東京に出かけるたびに起きる議論。

「湘南新宿ラインのグリーン車で行こう」(オレ)
「東横線でいいじゃない」(K妻)
「だって座れなかったら困るだろう」
「この時間はたいてい座れるわよ」
「万が一座れなかったらどう責任とるつもりだ。それは100%たしかなのか? ええ? いきなり割り込みおじさん(おばさん)に突き飛ばされて、一人差で座れない、なんてことがよくあるだろうが」
「あたしはない」
「オレはいつもある」

 実際問題として、東横線だろうが小田急だろうが、完全に座れる順位で並んでいても、座る直前に背後からドドドドと人が追い抜いていって、座れなくなっちゃうんだよ。
 前にも、ひとつだけ席が空いていて、その席は、オレから1mだったのに、3m離れたところにいたおばさんがダッシュしてきて、結局、座れなかった覚えがある。
 ようするに、席取り合戦に参加しているオレを冷ややかな目で見つめている、もう一人のオレがいて、そいつがつり革のあたりから見ているんだな。で、
「ふ、あさましい奴め。おまえは、そんなにしてまで座りたいのか」
 という声が聞こえてきて、そいつと(頭の中で)口論しているうちに、目の前のオババかオジジが座ってしまうわけだ。

 で、渋谷駅についてから。

「さ、早く歩いてちょうだい。銀座線に乗り換えなんだから」(K妻)
「あのさ、駅前からタクシーに乗ろうぜ」(オレ)
「なんで」
「だって、銀座線まで、かなり距離があるし、きっと混んでるよ」
「銀座線まではすぐだし、混んでても長い時間乗るわけじゃないわよ」
「やだー、やだー、タクシーがいい、タクシーがいい、タクシーじゃないと嫌だ!」←この発言は誇張。たしか、ジャガー横田の旦那さんがこんな感じだったっけ。オレは、もっと大人っぽく言う。

 目的地までの経路の選択は永遠の課題である。

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共約不可能性ふたたび

講談社のAさんから電話があって、読者からの苦情がきていると言われ、ドッと汗をかく。

***

毒舌・放言も出版だといろいろ禁止用語などあって大変になってきている。

表現の自由とのかねあいもある。

新聞などは毎週のように「禁止用語集」が廻ってくる、という話をさる新聞記者から聞いたが、単行本も大変な御時世だ。

いったい何が問題なのかと思いきや、「超ひも理論とはなにか」に書いたカルーザのことだった。

カルーザは私の好きな学者で、「万年私講師」で大学からは冷遇されていたが、宇宙の次元を増やす、という壮大なアイディアを論文にした英雄だ。

日本ならずっと非常勤講師をやっていたことにあたる、と書いたし、大学から「ダメ」の烙印を押された、とも書いた。

それを読んだ非常勤講師をやっている人から苦情が舞い込んだらしい。

ちょっと前にも書いたが、あらためて、「共約不可能性」の問題をつきつけられた感じがする。

つまり、私の文章の意図は、「カルーザを評価できなかった周囲の愚かさ」と「孤高の学者の偉さ」を強調する点にあったのであり、(当然だが!)非常勤講師を貶める意図など全くない。だが、手紙を書いた人は、まさにその反対の意味に受け取って(おそらく)傷つき、怒ったのだ。

難しいよね。

オレは、もう何十年も一匹狼で、肩書きのある地位ももっていないわけで、だいたい非常勤講師しかやったことがない。

寄るべきものをもっていない人間が、社会からどのような扱いを受けるのかなんて、オレ自身が、嫌というほど味わってきている。

言葉には常に両義性があるけれど、問題は、その刃がどちらを向いているかだと思う。

たとえば、大学の非常勤講師をやっている、という発言自体が、大学に行っていない人を傷つける要因になることだって充分にある。

***

という次第で、文章の真意が伝わらず、傷ついて怒りの感情をもたれた読者には大変申し訳なく思うが、ここで解釈を明白にしたと思うので、どうかご理解をたまわりたい。

***

講談社のAさんには丁重に返信してもらったので大丈夫だと思うが、ここに書いたようなことを重版の際に追記したほうがいいかもしれないな。

やれやれ、作家稼業も大変だよ・・・(心の中でつぶやく)

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雑談

昨日は横浜東口のレストランDで鈴木光司さんと会食。
エジンバラ旅行の話など聞く。
なんでもイギリスでは、まだ作家が尊敬されているそうで、そういえば「サー」の称号をもらう人も多いよね。

あと、ヨットの話もいろいろ聞かれて面白かった。
個人タクシーの運転手をしていた人が中年すぎてヨットを始めて、あるとき、いきなり世界一周大会で優勝してしまったことから始まった悲劇とか。(スポンサーがついたら不運の連続で、レースの途中、自ら命を絶ってしまったそうだ)

そもそも、ヨットで世界一周してしまう、という発想が凄い。

***

ハッピー薫絵の続編を掲載。
こういうのって、一日一枚、というような具合がいいのか、それとも一回に五枚とか十枚載せたほうがいいのか・・・。わからないからテキトー。
次もあるよ。

***

今さらだが、「ディオ」の感想を送ってくれた人がいてちょっぴりハッピー(笑)
総スカンを喰らって、メチャクチャけなされた作品なので、もうトラウマになっているけれど、ごくたまに「わかってもらえたんだねぇ」と嬉しくなることもある。

***

床屋に行ったら、頭の毛も髭も同じ長さにされちゃった。アレ?

***

本日、頭が廻らず。
回転数が上がってきたら、また書くことにする。

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雑談

ハッピーな絵は続編と続続編を用意してある(笑)

今日は鎌倉に里帰り中なのでスキャナーがないから更新できないけどな。
(そんな、迷惑そうな顔すんなよ! 天才性ってのはわかりにくいものなんだからな)

***

新聞読んでたら、自民党に投票した人はテレビっ子だという分析が書いてあった。
テレビを見る時間が長いほど小泉さんに入れたんだって。
オレもよく見るよな・・・最近はヤンキースの試合とNHKニュースがほとんどだが。

デュルケームの「自殺論」を読んで感じたことだが、人間って、自分で判断して行動しているつもりでも、実際は、社会の大きなうねりに流されて生きているんだよね。
その見えない流れに乗っかっちゃうと楽なんだけど、逆に泳いでいると苦しい。

***

NHK出版の「物質をめぐる冒険」を無事脱稿。
かなり思想的な内容になった。
ショートショートも入っているが。
なぜ、そんなことをするのかについても書いてみた。

***

「星の王子さま」の新訳は売れているみたいだが、読んでみたい気もするものの、考え中。

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ハッピーな絵

デジカメは、ここのところ、フジファインピクスF10を愛用中。
もともと小中学校では写真部(と将棋部)にいたので、フィルムの現像や写真の焼き付けなんかも自分でやっていたし、一眼レフ派だった。

前にニューヨークの写真をサイトにアップしたら、かなり酷いネット批評にさらされたが、クオリアはカメラというよりは、「瞬間影像手帖」なんだから、しかたないだろう。

オレにとっての写真は、構図とか被写界深度とかシャッタースピードで絵を創り出すものだ。そういった機能がついてなけりゃ、上手下手を論じても意味ないと思うぜ。

まあ、一眼レフで撮っても下手であることに変わりはないがな。他人に言われると無性に腹が立つ。

***

前にも書いたが、(この日記、もう6年も書き続けてるから話題も重複するんだよ!)上手下手なんて、ところかわれば品かわる、なんだよね。
ニューヨークの小学校では絵画特別教室に入れられて、絵で奨学金をくれるってところまでいったのに、隊長が日本に呼び戻されて杉並の浜田山小学校に帰ってきてみれば、アホな図工の先生が通信簿に「1」をつけやがった。
ニューヨークなら天才絵描きの卵なのに、杉並だと単なるへたっぴいなんだぜ。
あれはかなりのショックだったね。
(オレの絵が見たいなら、絶版本の「アインシュタインと猿」の挿し絵をご覧あれ。かなり冗談きついかもしれないが、ある意味、天才性を感じさせる絵だぜ・・・とにかく笑えることだけはたしかだ)

まあ、ハッピーな写真とハッピーな絵とハッピーな文章を書く人間ということで、ヨロシク。

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約ってなにさ

このブログはコメント不可に設定してあるが、それは、以前の掲示板日記の教訓をいかしたものなのでご了承願いたい。

ある特定の単語の「解釈」は、多かれ少なかれ、人によってズレてくるから、不特定多数の人が読む日記の場合、思わぬ反応に出会うことも多い。

こういった問題は、科学哲学では「共約不可能性」(あるいは翻訳不可能性)の問題として、古くから論じられてきた。
「質量」という言葉が、ニュートン力学とアインシュタインの相対性理論とでは、同じ発音と同じ字であるにもかかわらず、意味がズレている例などが典型だ。
(ニュートンの質量は不変だが、アインシュタインの質量は観測者によって変わるし、消えてエネルギーになる)

ようするに言葉は同じでも、それが置かれている文脈がちがうのである。

共約不可能性がやっかいなのは、意味が完全に異なるのではなく、それなりにオーバーラップしている点だろう。
同じ言葉で意味も重なっているが、決して同じではない。

そこから誤解、誤読が生まれる。

読み手が、書いた人間の頭の「文脈」を予想して合わせなければ、読解などなりたたない。

日記に対する思わぬ反論の多くは、私の頭ではなく、読み手の頭の文脈で誤解されたものだが、いちいち「それは共約不可能性の問題です」などと再反論するのも億劫だし、誤解には怒りの感情がともなうことも多いので、免疫によくないからコメント不可の設定にするわけ。

* **

ところで、旧約聖書も新約聖書も「約」だよね。
共約も「約」だ。
でも、翻訳は「訳」だ。
約分は「約」。

***

約=糸でひきしめまとめるの意味を表す。
訳=一つの国語から他の国語へつぎつぎにたぐり寄せていく。
(大修館「現代漢和辞典」木村秀次・黒澤弘光←私の高校の先生)

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外界

1週間ぶりに外界に出て、ビックカメラにてCanon iP3100を購入。

帰り際、iPod nanoを眼にしたオレはその美しさに釘付けになる。

「おお! テレビではわからんかったが、こんなに小さくて恰好よかったのか」(オレ)
「・・・」(K妻)
「おまけにブラックもあるんだ」
「もうiPodもiPodシャッフルも持ってるじゃない」
「うん、だが、nanoはnanoで、両者の利点を兼ね備えているからな」
「それって、あなたがいつも言っている物象化ってやつじゃないの?」
「ぐっ・・・ちょっとちがうだろ」
「どうしてちがうの。それって物欲でしょ? モノに支配されてるんでしょ? コト的な世界観に反するんじゃないの?」
「・・・」

人間の性(さが)だねぇ。

***

帰宅後。

「ちょっとその新しいプリンターのケーブル貸してみて」(K妻)
「なぜ」(オレ)
「試してみたいことがあるの。あなたが蹴飛ばしてた古いプリンターだけど、もしかして、プリンターじゃなくて、ケーブルがダメになった可能性もあるでしょう」
「ふ、限りなくゼロに近い可能性だと思うがな」
「そうかしら」
「これでもオレは物理学が専門だったのだぞ」
「いいから貸して」

数分後。妻のパソコンにつながれた古いプリンターがこれみよがしに印刷物を排出するのを見て、
「うぉー!」
頭を抱えるオレと、勝ち誇ったように微笑むK妻。

***

プリンター、一家に二台の時代到来。

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物象化

物象化ってなんだろう。

物象化は、精神が物欲に支配された状態だ。その際の「モノ」とはおもちゃや自動車やお金に始まって、人間や世間での肩書きのようなものまで含まれる。

ようするに対象を「モノ」とみなして、それを手に入れることに邁進する姿が物象化された人間の特徴だ。

物象化された人間の対極にいるのが(真の意味での)宗教家であり、悟りの境地とか、色即是空というような精神状態が特色だ。

もともと物欲に邁進して、私利私欲を悪いとも思わない人間は幸せなのだろうし、会社で出世して課長とか部長という肩書きをたくさん手に入れることが人生の目的と化しても、悩みはない。

問題となるのが、アウトサイダー的な色彩を帯びた人格の持ち主たちだ。
彼らは、ようするに社会の物象化傾向と戦って、あるいは逃げているのであり、かといって、完全なる宗教家のごとく「欲」から解放されることもないから、常に中途半端な状態で苦しみ続けることになる。

哲学なんぞやっていると、どうしても物象化が目に付いてしまうから、それから逃れようとあがくことになるが、世間の大きな流れは互いに相手を「モノ」にすることなのだから、嫌でも物象化の渦に巻き込まれてしまう。

オレなんかは中途半端な人間の典型なので、強い物欲に押し流されつつ、それに支配されるのが嫌で嫌でたまらず、激しい自己嫌悪に悩まされながら生きている。
表の自分が軽蔑しているものを欲しがる裏の自分がいる。

会社に勤めるのであれば、オレの理想は、固定された部署で好きで得意な仕事をコツコツと続けながら、一生、ヒラ社員で生きていることだと思う。でも、そうなったら、同期で出世してゆく人々を目の当たりにしつつ、周囲から蔑まれているように感じてしまい、本来の仕事を忘れるほど出世への渇望がでてくるにちがいない。

会社勤めでもフリーの職業でも、抱えている問題の根っこは同じだ。

それは人間の哀しい性(さが)なのかもしれない。

よく、目的としていた「モノ」を手に入れてしまうと、急に馬鹿らしくなったりすることがあるけれど、それも、物象化という催眠術にかかっていたのが、急に醒めたのだと思えば、納得できる。

極度に物象化された現代を生き抜くのは辛い。

「なあ、軍曹」(少佐)
「・・・」
「なあ、伍長」
「・・・」

溜め息をつきつつ少佐がトイレに入るのを見届けて。

「おい、物象化だってよ」(軍曹)
「猫には悩みがないとでも思ってんのかねぇ」(伍長)
「ご飯出すの忘れて、呑んで帰ってこないとき、猫がどんな苦難に陥っているのかわかってんのかね」
「しょせん、贅沢な悩みにすぎないんだよね」
「人間ってお気楽だね」
「少佐、早くトイレから出てきて、ご飯出してくれないかなぁ」

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呪い

今週は〆切がきつくて缶詰め状態が続いておる。

もう1週間くらい、ほとんど外界の空気を吸ってないなぁ。
これだったら刑務所とかでも仕事できちゃうよね。(ゴメン、前にも同じこと書いた)

体力的にも限界に近づきつつあり、死にそうになりながら、ようやく原稿を仕上げた。
で、最後の見直しはプリントアウトして赤字を入れないといけないのだが・・・てめえ! なんでこんなタイミングで壊れやがるんだよ!←プリンターに向かって怒鳴り始める

ドライバが悪いのかと思って再インストールしたけどダメ。
しかたないので小(こ)マックにファイルを移してやってみたけどダメ。
つまり、プリンタ本体のほうがまずいんだな。

最近・・・思い当たる節があるのは・・・193名くらいの・・・人たちに呪われてるような可能性はある。
でも、そのうち187名くらいは、はっきり言って逆恨みだからな。

うーん、どこかにお祓いに行ったほうがいいかもしれん。(と、いいつつ、プリンターを蹴飛ばしてみる)

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理系にだって教養はある

マクスウェルの翻訳をやっている。

天才ファインマンをして、
「人類の歴史という長い眼から、たとえば今から1万年後の世界から眺めたら、19世紀の一番顕著な事件がマクスウェルによる電磁気法則の発見であったと判断されることはほとんど間違いない」(「ファインマン物理学」日本語版第2巻より)
といわしめた御仁である。

携帯電話が使えるのもテレビが見られるのもマクスウェル先生のおかげなのに、現代人のほとんどは、マクスウェルがどんな人物であったかも、何をしたのかも知らない。(この日記の読者は例外だろうが!)

正直な話、初めて翻訳の打診を受けたとき、「読む人、いるのか?」という素朴な不安が脳裏をよぎった。
いまさら、19世紀の古い科学書なんて読んで何になる。
科学は日々進展しているのだから、現代の教科書を読んだほうがずっとためになる・・・いや、お恥ずかしい。そんなことを考えてしまった。

ところが、原書を目にして、オレはかなりの衝撃を受けた。
それは、マクスウェルの「電気論の初歩」という本の内容が、大学の教養レベルの電磁気学の授業と驚くほど似ていたからだ。
電気影像法による解法も現代の教科書と同じように出ている!

もちろん、話は逆なわけ。
マクスウェルの古典を読んだ次世代の物理学者が教科書を書いて、その教科書をさらに次世代の物理学者が読んで・・・そうやって現代にまでマクスウェルの「ミーム」がコピーされ続けてきたんだよ。

オレは、世界中で出版されている大学レベルの電磁気学の教科書の「オリジナル」を目にして、なんだか背筋がゾッとした。

「文学には古典の素養が必要だが、科学には必要ない」という思い込みを自ら反省中。

いまさらながら、「オリジナル」の凄さを味わいつつ、かなり楽しく翻訳ができた。
電磁気の「精神」というか「神髄」に触れた気がする。

理系の大学教育でも、こういうすばらしい古典を(一部でいいから)講読する授業があってもいいんじゃないのか。
それが真の教養ってものだろう。

ま、科学史の授業さえ必修でない理系教育の現状からすると、ありえない話だろうが・・・。

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オレは気分で投票した

あらゆるところで自民党圧勝と民主党惨敗の「分析」がおこなわれている。

オレには本当の理由は皆目見当がつかないが、自分の心の中で何が起きたかといえば、驚くほど単純な「印象」の連鎖反応だけであった。

前回の選挙で民主党に投票したオレが、今回、民主党に投票しなかったのはなぜだろう? それは単なる「気分」の問題でしかない。
では、なぜ、そんな気分になったのか。

印象1 民主党の岡田代表の親父はイオンの総帥だから、金持ちすぎて庶民の苦しみはわからない
(あんたも「世襲」かよ)
印象2 イオンが電機会社のサンヨー(だっけ?)を「いじめている」映像を前にニュースで何度も見た
(「この人たち、モノをつくってる人たちをいじめてるんだよねぇ」)

印象3 テレビで特定郵便局の人だけのデモ行進を見て、とても嫌な気分になった
(「オレ、あんたらの利権に関係ないもん」)
印象4 むかし住んでいた家の近くの特定郵便局(数軒)の車庫に高級車があった
(「ちくしょう、世襲で儲けてやがんな」)

印象5 道路公団を民営化したら、いきなり副総裁が嘘をついていたことが発覚して逮捕された
(「民営化すると膿が出るのかぁ」)
印象6 小泉さんは郵政民営化で何も得をしないが、反対している連中は利権がらみで行動しているように見える
(「善玉と悪玉の戦いだよ、コレ」)

もちろん、この印象には根拠のあるものもないものも混じっている。単なる印象にすぎない。でも、オレの投票行動は、こういったとるにたらない印象の連鎖により決まってしまった。

些細なイメージの連鎖。
それだけなのだ。

たとえば岡田代表が、
「私は親父の財産は継ぎません。裸一貫で日本のために尽くす覚悟です!」
とでも言えば、かなり印象は変わっていたにちがいない。
あるいは、自分たちの特権を守ろうとする特定郵便局の人々のデモ行進を目にしなければ、世襲の利権に対する反発心も起きなかったにちがいない。

つまり、世襲とか利権に対する強い嫌悪感がイメージの連鎖となってオレの「投票気分」を決めてしまったのだ。

論理なんかなかった。

政治って怖いよねぇ。

そして、オレは気分で行動してしまうんだから、有識者には属さないってことだな・・・。

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たかが書評、されど書評

静岡大学の吉村仁先生から日経文化部のUさん経由でメールをいただいた。
「素数ゼミの謎」の書評(日本経済新聞9月8日夕刊「エンジョイ読書」)を大学のホームページに掲載したいので許可をくれ、ということだった。

書評というのも立派な「読み物」だと思って書いているから、著者に喜んでもらえてとても嬉しい。

褒めてばかりで辛口が足りない、という向きもあるが、むろん、家ではK妻の耳が腐るほどオレの「罵詈雑言・書談」は激しいわけで、新聞や雑誌には、個人的に「美味しかった本」のことしか書かないのだから、当然なのだ。
(オレの辛口書評は聞かないほうが身のためだ。放送禁止用語だらけで卒倒するぞ)

吉村先生には、もちろん、「ご自由にお使いください」と返信した。

たかが書評、されど書評。
文筆の神様は、ちゃんと見ているから。

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トラバ(続き)

一つの記事を複数の人にトラバすることが可能なのだろうか。
老青年のくだらない質問ですまんが。

水谷さんと真鍋さんにトラックバックしてみよう。

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小6ですか

C書房M氏、横浜仕事場来訪。

「珈琲どうぞ、お腹は大丈夫ですか?」(K妻)
「いやあ、駅前のラーメン屋で食べてきましたから」(M氏)
「美味かったですか」(オレ)
「いえ」(M氏)

オレとK妻は目配せした。
そう、駅前のラーメン屋は、いつも客が入っていないので、不審に思い、一度も食べたことがなかったのだ。
(やはり、そうか)
(入らなくてよかったわね)
来訪者の情報は意外と貴重だ。

仕事の打ち合わせの後、軽い食事をしながら、逮捕された著者の話など聞く。
「万が一、犯罪者であっても、表現の自由はありますから」(M氏)
「安倍譲二もそうでしょ」(K妻)
「ジャン・ジュネもそうだ」(オレ)
しばし犯罪作家談義。(M氏は「表現の自由」という観点から。オレは個人的に泥棒が好きなので、もっぱら泥棒と作家の関係を夢想)

仕事の関係で問題の選定・創作の話に。
「そういえば、電車の中の問題が難しくて頭が痛いのよ」(K妻)
「あ、ソレ見たことあります」(M氏)
「ふん、小手調べに解いてみるか。どんな問題だ」(オレ)

1時間後。その小6相手の算数問題を前に。
「うぉー! こんな問題、捨てるんだったぁ!」(オレ)←1問に長考してしまい時間が足りなくなった受験生の叫び

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ダンディ少佐はゆく

あー、疲れた。

真夜中の原稿書きも楽じゃないよ。なにしろ昼は京急の高架が断末魔の悲鳴をあげているんだからな。(それなら夜じゃなくて昼間、仕事すりゃあいいじゃねえか・・・ま、そうだが)

隊の見回りにゆくとするか。

***

「軍曹、なんだ、その態度は」(少佐)
「・・・」(軍曹)
「上官にしっぽで敬礼もせず、寝そべったままとは言語道断。懲戒処分じゃ」

数秒後、軍曹は必死になって背中を舐めている。
少佐はふたたび見回りを始める。

「伍長、ちゃんと見張っておるか?」(少佐)
「・・・」(伍長)
「伍長、貴様も居眠りしておったのか。勤務怠慢である。懲戒処分じゃ」

数秒後、伍長も必死になって背中を舐め始めた。
少佐は軍の規律を保たねばならぬ。
それが隊をあずかる者の責任である。

「また、夜中に何してるの」(K妻)
「いや、猫が職務怠慢だから」(オレ)
「またおでこの油つけて廻ってたの? いい加減にしなさいよ。猫だって大変でしょう」
「喜んでるからいいじゃないか」
「あたしには迷惑がって、きれいにしているようにしか見えないけれど」
「いや、飼い主を味わっておるのだ」

K妻とオレとでは解釈がくいちがうが、もちろん、オレのほうが正しい。
なにしろ、オレはダンディ少佐なのだから。

(http://www.sonypictures.jp/archive/cinemaparadise/50/1.html)←見ないほうがいいと思う

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本の話

愛読書を順次載せてゆくつもり。
竹内版「オレはこんな本を読んできた。文句あっか」てな感じだ。

ウィトゲンシュタインは哲学をやった人でないと難しいはず。入門には、

「言語ゲーム一元論―後期ウィトゲンシュタインの帰結」黒崎宏(勁草書房)

をオススメする。かなりわかりやすく、短時間でウィトゲンシュタインの思想の本質に迫ることができるだろう。

カポーティのものは原書で読むのも一つの手だと思う。
特に幻想的な短編集が秀逸。
以前、河出から英語と日本語の混ざった朗読テープが出ていて驚いた憶えがある。あれは凄くよかったけれど、一般ウケしなかったんだろうねぇ。

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心の忘れ物

最近、周囲が妙にバタバタしていて、仕事、警察、病院、仕事、仕事、病院てな感じで走り回っていた。

人と食事をしたり酒を呑んだりしていても、オレ以外の人間が、みんなお金をたくさん稼いでいて、尊敬されていて、もてはやされていて、自分だけがポツンと取り残されたような気ばかりしていた。

一昨年書いた小説は、いろいろな人に読んでもらって、もっと売れるものにしようとがんばってみたが、ある日、気がついたら、それは、もうオレの作品じゃなくなっていた。

オレは、人からの評価や、お金のことばかり考えていて、どこかに大切なものを置き忘れてきてしまったんだ。

湯川薫を名乗らなくなったことについては、大勢のファンの方からご意見を頂戴したが、自分を見失ってしまった以上、やはり心機一転、ゼロから出直すほうがいいと考えた。

作家稼業というのは、年間10万部くらいの本を買ってもらわないと生きていかれない。

新古書店で1冊100円で本が買える時代に、新刊書を10万部売らないと生きていかれない、というシステムに翻弄されて、オレは、いつのまにか「本が好き」だった昔の純粋なオレじゃなくなっていた。

だから、輝きを失ってしまった。

今は、オレ自身がシステムの悪い面に流されずに、自分を取り戻すしかない。

心の忘れ物って、なかなか気がつかないものだよね。

みんなも、そんな経験、ありませんか。

しばらく(新生)竹内薫でもう一度がんばってみる!

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作戦決行

「にゃ」(伍長)
「にゃ」(少佐)
 
暗闇に合図がはしる。しばらくすると、

「にゃ」(軍曹)

という返事があった。これで襲撃の準備は整った。少佐の合図とともに3名の特殊工作員たちは、つま先立ちになって、敵を起こさないように気をつけながら倉庫へと向かった。

カチャ。

数秒後、倉庫の鍵があいた。中に忍び込むと、少佐は、ブツをカップに入れた。さきほどと同じようにつま先立ちのまま敵の前を通り過ぎ・・・ようとした瞬間、いきなりサーチライトに照らされて目が眩み、茫然と立ち尽くす工作員たち。

「こんな夜中に、なにしてんの」(K妻)
「あ、猫がな」(オレ)
「猫が?」
「ちょっとお腹すいたらしくてな」
「猫のご飯は1日2回と決めてあるでしょう。ただでさえお腹が垂れ下がってるのに」
「うむ」
「戻してらっしゃい」
「はい」

すまん、軍曹、伍長。指揮官であるオレが不甲斐ないために。

といいつつ、次の瞬間、冷蔵庫からケーキを取り出して、自分だけ空腹を充たしているオレ。

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真夜中のお仕事

今は深夜の3時半すぎ。

仕事部屋のベランダの数メートル先は京急の高架になっていて、昼間は、殺されそうになって逃げ惑う黄色い声みたいに線路がきしんでいるのだが、午前一時から午前五時までの四時間ちょっとだけは電車も通らず静かになる・・・はずなのだが。

200メートルほど先の駅には煌々と灯がついて、線路では、保線工事が行なわれている。

実に奇妙な感覚だ。

オレはマンションの4階のベランダから外を見ているのに、深夜、同じ目線のところを大勢の人間が歩いている。しかも線路の上を。

かと思うと、正面100メートルほどのところには消防署があって、こちらも一晩中起きている。

マンションの4階。深夜3時。オレの正面には同じ目線になんと大勢の人がいることか。

てゆーか、オレのマンション、外から丸見え・・・。

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初心者のための用語講座

日記も一新したことだし、新たに訪れてくれる読者もいるかもしれないので、この日記(およびwww.kaoru.toの掲示板)にでてくる「符牒」を少し解説しておく。(アマサイでピグモンさんがやっていたのを真似するのだ)

・K妻=竹内薫のK(「ケイ」)妻。Kはソクラテスから類推されたし。料理研究家・スポーツインストラクター。

・グリペン氏=竹内薫オフィサルサイト管理人。グリペンはスェーデンの戦闘機の名前らしい。竹内薫が大学で教えていたときの教え子。以来、ボランティアでサイト運営一切を担当してくれている。右腕。

・猫神家=鎌倉にある竹内実家のこと。内猫3匹のほかに外猫が無数にいることから。

・隊長=猫神隊長は竹内実父。山の猫どもを率いていることから。酒豪。毒舌と放言が特徴。日本最古の柔術「竹内流」の伝承者だが、駅や雑踏で喧嘩につかって、相手に危害を加えることから破門。すでに齢70を過ぎたが、中年の酔っ払いを平気で「倒す」。警察がくると、「わしゃ、とうに70を過ぎた老人ですわい。こんな若い人相手に喧嘩で勝てると思いますかぁ?」と、地べたに転がった被害者を前にしらを切る。(実話)

・軍曹=横浜にいる猫。本名ナナ。冬、セブンイレブンの隣で震えていたのをK妻が拾ってきた。当初は大人しくしていたが、次第に傍若無人なふるまいが目につくようになり、とうとう「鬼軍曹」の異名をとるようになった。竹内薫が疲れて寝ていると、平気で顔の上を歩いてゆく。

・少佐=オレのこと。映画「ダンディ少佐」から。どうしようもないくせに威張っている上司という意味。

・伍長=横浜にいる猫の虎太郎。年長で前からウチにいるくせに、新参者のナナの支配下におかれてしまったため「伍長」の階級が与えられた。

・エルヴィン=鎌倉実家の屋根から落ちてきて、それ以来、居ついてしまった猫。量子物理学者のエルヴィン・シュレディンガーから。(「シュレディンガーの猫」とは量子猫のことである。)神出鬼没。

・カロア=竹内薫の愛猫。15歳。御長寿猫として鎌倉市から表彰された。

・チビル=同じく鎌倉の猫。性格が悪いので「デビルマン」の別名ももつ。

・周三郎=竹内薫妹。サイトにある「竹内さなみ」は周三郎のことである。翻訳業。

(続く・・・かもしれない)

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缶詰中

うーむ、ハルオさんの日記にはどこにトラバしていいかわからず・・・。
老青年なので、少し状況が複雑になると対処できないところが哀しい。
これは、プレステの画面を前に凝固しているのと同じ構図だな。

そうそう、「社名変更」というのは洒落ですがな。「湯川薫&竹内薫オフィシャルサイト」から「竹内薫オフィシャルサイト」へ。
まあ、竹内薫名義で(ミステリーにかぎらず)小説・エッセイを書くことも見据えての動きだったりして。

***

原稿書きは相変わらずで、昨日も朝の6時までパソコンにへばりついて執筆。
ここのところ京急の始発の音を聞いてから寝床に入ることが多くなった。

***

月曜日はK文社のK氏が仕事場に来訪。
3時間ほどかけて新作のテープ録りをしてもらった。(題名はまだ秘密)
まだ20代後半だが非常に仕事ができる人で、なんとも頼もしい。
大の猫好きで、わざわざ猫袋で猫のおもちゃを買ってきてくれて、到着早々、虎太郎とナナを「釣って」いた。

虎太郎は、最初、おもちゃに対する好奇心とK氏に対する警戒心が相半ばしていたが、やがて、(猫らしく)目先のおもちゃに完全に集中して遊び始めた。

猫(および猫人)は大局的に動けないんだよね。

***

マクスウェルの翻訳は計5冊になる予定。
科学作家としては、100年残るようなきちんとした仕事にしたい。
見直しに力が入るが、もうちょっとで1冊目の原稿が完成しそう。

ケッパレ!

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夜の物理学

ブログも初心者だが、トラバという文化も初めて。
「夜の物理学」の感想をトラバしてもらった。何気にうれしい。電車で人が覗き込むというのもうれしい。
公明新聞が書評でとりあげてくれたので、また売れるかも!?

(もっとも飽きっぽいし、いい加減な性格なので、そのうちトラバられてもお返ししなくなる可能性大。許せ)

ちなみにアクセス解析とやらを見ていたら、なぜか、この日記よりも「猫神たち」のほうがアクセス数が多いんだよ・・・猫には勝てないってことか? うーむ。

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初トラバ・・・

トラバってなんですか・・・。

じっと皺だらけの手を見る。

こうやって人は老境へと一歩足を踏み入れてゆくのであるか。

時の流れに棹さすべきか、それとも、おとなしく苔生すのを待つべきか。

以前、K妻に始めてスタバに連れてゆかれたときも、カウンターでのあまりのメニューの選択幅に「凝固」した憶えがあるが。

こんな感じでいいのだろうか。

***

アマサイのピグモンさんへ。

トラバ、ありがとうございます。

今後ともよろしく!

***

こうやってから「相手のトラックバックURL」のところにピグモン・アマサイさんのアドレスを入れるのだろうか。

そもそも、トラバと付けてもらったら返答トラバを付ける風習があるのだろうか。うーむ。凝固。

だめだったら(www.kaoru.toの掲示板でもいいので)教えてください。(老青年からのお願い)

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消えたマック

久しぶりに横浜の喧騒を逃れて鎌倉・猫神本家に逗留。

昼間、猫神隊長(=実父)は酒を呑みに出ていたが、午後4時ごろ帰宅。

隊長「お? 珍しいな。今日はひとりか?」
オレ「うん、泊まる」
「ちょうどよかった、駅前のマクドナルドでハンバーバーのセットを買ってきたぞ」
「たまにはマックもいいな」
「お?」

赤ら顔の隊長が袋から取り出したのは、飲み物が2つとフライドポテトだけ。

「ないな・・・肝心の本体がない・・・」

そこから延々と隊長の「クレーマー」ぶりが発揮されることになる。
マクドナルドに電話をかけて、責任者を電話口に出させて、
「天下のマクドナルドが廃るのう」
とか、
「かよわい老人の弱みにつけこんで、なけなしの年金から1200円を奪おうという魂胆ですか」
などと嫌みを連発。
しまいに、
「それじゃあ、今からそこに行くから」
と凄んでみせた。

「また駅に行くのか?」
「いいや」
「だって、行くって言ってただろう」
「ことばのあやという奴だ」

そう言って、そのまま寝てしまった。
つまり、悪いのはマクドナルドではなく、隊長が酔っぱらって、途中のどこかに本体の入った袋を置き忘れてきた、ということらしい。
だが、オレたちの手前、引っ込みがつかないから、マクドナルドに電話をかけて散々「演技」していたわけ。

ごめんね、マクドナルド。
オレは、心の中で手を合わせた。

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オレの立ち回り先が(「湯川薫日記」から再録)

某渋谷にて。2005年9月1日某日。某時刻。

オレ「ふぇー、暑いなぁ」
K妻「そうかしら」
「40度くらいあるんじゃないか」
「30度くらいじゃないの」
「そうだ、本屋行こう」
「いいわよ、どこに行くの」
「ふ、ここはオレの庭みたいな街だぞ。まかせとけ」

数分後。年中無休。本のデパート大盛堂の前にて。
「あれ? 閉まってるじゃねえか」
「そうみたいね」
「うーむ、ここ、年中無休のはずだが・・・ほれ、シャッターにも年中無休と書いてある」
「(張り紙を指差しながら)お店自体が閉店したみたいね」
「・・・」

数分後。駅前の大盛堂新店舗前にて。
「ま、移転したということだな。科学書は何階かな?」
「コミック、雑誌、文芸・・・イベントスペース・・・ないわね」
「大きさも前と比べると百分の一くらいしかねえぞ」
「理工書は入らないわね」
「学生時代に足しげく通った店なのになぁ・・・なんだか寂しいな・・・まあ、これも時代の流れという奴だ。すぐ近くの地下に旭屋書店があるから、そっち行こう」

数十秒後。旭屋書店前にて。
「あら、ここも休業みたいよ」
「長らく・・・御愛顧・・・8月31日・・・30年の歴史・・・幕・・・まく、まく、まくまく、まくまくま」
「だ、大丈夫?」
「あ? ああ。うーん、ダメだ。ちょっと眩暈がしてきた」

半時ほど経って。西村パーラーにて。
「少し落ち着いた?」
「うむ。三十年来行きつけの店が同時に二店舗消えたのでオレとしたことが取り乱してしもうた。ま、考えてみれば、ダイエーも西武もイトーヨーカドーも三越も潰れる時代だ。巨人の試合も閑古鳥が鳴いておる。渋谷の環境は、真面目な本屋には厳しくなってしまったということだろう・・・それにしても、東大の駒場の学生は、いったいどこで本を買っておるのだ・・・こうなると、あとは三省堂くらいしか思いつかないぞ」
「行ってみる?」
「よっしゃ、気を取り直して散歩がてら行ってみよう」

五分後。穴の前にて。
「ねえ、あまり言いたくないんだけれど、最初は縮小移転、次は廃業、今度はビルごとなくなって穴になってるんだけど」
「どんどん被害が拡大しているということか」
「そう見えるわよ」
「(張り紙を見ながら)三省堂の移転先は・・・神田本店・・・この前サイン会やったとこか」
「渋谷店舗は消滅したのよ」
「オレの立ち回り先、みんな、なくなっちまった」

意気消沈したオレは、もはや渋谷の街で理工書のある本屋を探すことはあきらめた。なぜなら、K妻のいうように、この調子でゆくと、次は「街ごと消滅」しかねないからだ。オレは、そのような恐ろしい事態を招くことは得策でないと考え、足早にこの文化的に滅びつつある街を後にしたのだった。(実録)

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Fの死

飲み会でFのお墓参りの話が出た。

前に「湯川薫日記」に書いた憶えがあるけれど、私が大学一年のとき、一年後輩のFが死んだ。Fは私がやめた後に馬術部のキャプテンをしていて、とても才能があり、K大学の推薦入学も決まっていた。
スポーツだけでなく、高校三年にしては教養も高く、クラシック音楽が趣味だった。

Fは、いわゆる突然死だった。
朝、家人がベッドで冷たくなっているFを発見したのだという。
Fの家は開業医だったが、夜中に急に心臓が止まってしまったらしく、蘇生できなかった。

当時、私は自分をかわいがってくれた祖母と伯母が亡くなって、それなりに人の死を経験してはいたが、まさか、一年下の同じ部の後輩が突然死ぬとは考えてもいなかった。それも事故ではなく理由不明の突然死だったのだ。

私は東大の文化一類というところに通っていて、そのまま法学部に進学するつもりでいた。
だが、Fの死は、私の人生を180度変えてしまった。
「自分だって明日、突然、死んでしまうかもしれないのだ」
その可能性が現実味を帯びて私に襲いかかってきた。

私は、いろいろ考えた末、それまでの人生計画をすべて破棄して、もうゼロから始めることにした。
「明日、死んでも後悔しないように、好きなことをやろう」
私が好きなのは法学ではなく、文学と物理だったのだ。

Fの死がなかったら、おそらく、私はそのまま法学部に進んで、今頃はちゃんとした会社に入って安定した生活を送っていたにちがいない。

今、私は作家となって、物理の本を書いて暮らしているし、まだ、これから小説だって発表するつもりだ。

生活は不安定このうえないが、Fのおかげで、私は、明日死んでしまっても、人生に悔いを残すことはない。

11月12日はFの命日。
今年は、友人と一緒にお墓参りに行く。

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飲み会

昨日は高校の同級生と渋谷で酒を呑んだ。
ここのところバタバタしていて私は久しぶりに参加したのだが、大いに笑ったせいか、おかげさまでプチうつ状態が晴れた。

S君はKS省のエリート官僚だが、異動したばかりで大変そうだった。なんでも異動する3日前に言い渡されるのだそうだ。その他、政治の世界の内幕が聞けて、いろいろ勉強になった。ほら、新聞とかテレビでニュースを聞いても、「なんでそうなるんだろう?」と釈然としないことってあるでしょう。現場の話を聞くと「ナルホド」と納得できる。

あくまでも高校の友人たちの飲み会なので、新聞記者にリークしているわけでもないので、いろいろな話が平気で出てくる。

N君はM不動産で、前回、私を講演に呼んでくれたのだが、今は4つで総額3000億円という案件を抱えていて、朝から晩まで会議だそうだ。今は開発ラッシュだからな。とうとう血便が出たそうだが、検査では異常がなかったらしい。

F君は財務のエキスパートで転職したばかり。外資系の有名な服飾関係の会社だ。「今度、ポロシャツくれ」。
F君のお兄さんはライブドアの執行役員をしていたが辞めたそうだ。
もともと検索エンジンの会社の社長だったが、ホリエモンに買収され、その後もライブドアに残って同じ業務をやっていたらしい。
ある日、F君のお兄さんが出勤して机で仕事をしていると、新入社員の男性がやってきて怒鳴りまくったのだそうだ。その社員は縁故採用でダメダメらしいが、縁故であるがゆえに、年上のベテラン執行役員なんて好きに怒鳴りつけていいと考えたらしい。うーむ。ちょっと大変な会社だ。

ゼータ・ガンダムで上官を上官と思わないで軍紀も無視して殴ってしまうシーンがあったが、そんなイメージか。

あ、こういうのはあまり書かないほうがいいよね。物言えば唇寒し、量子力学。

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新規開店

ごあいさつ

永らく御愛顧いただきました「湯川薫日記」ですが、社名変更に伴い、新たに「薫日記」および「シュレ猫文章倶楽部」として再出発することとなりました。

ようやく携帯のメールができるようになったこともあり、現代の趨勢であるブログへの移行を決意した次第であります。

引き続き、毒舌・放言日記をよろしくお願い申し上げます。

竹内薫

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